この日記は全てノンフィクションであり、登場する人物・団体名などは全て実在のものです。
4月
(日本時間)4月30日(火)ローマ快晴/オルヴィエート快晴
ローマ最終日。観光客の攻勢が始まる前に地の利を生かして「サンピエトロ大聖堂」に行くことにした。
 
「サンピエトロ大聖堂」は世界に12億人の信者を持つキリスト教最大宗派カトリックの総本山。ここを見ずしてローマを去るわけにはいかない。もともとはペテロの墓があった場所でそこへ巡礼に来る人のために建てられた教会堂がその始まりであるという説がある。世界最大の教会堂建築で、現在の聖堂が完成したのが1626年。総面積は49,737m2。とにかくでかい。圧倒される。この覆いかぶさるような迫力に負けてカトリックに帰依する人もいるかもしれない。
中にはミケランジェロの「ピエタ」があるがこれだけでも来る価値はある。そして祭壇のところにそびえる「大天蓋(バルダッキーノ)」はお約束のジャン・ロレンツォ・ベルニーニの作品。他にもいろいろと。あぁどういう順番で見ようかと迷っていた時、入口の扉が開いて朝の光を背にしたミサの行列が入ってきた。なんと幻想的な光景!動画にバッチリおさめることができた。なんという素晴らしいタイミング。
 

 
その後、クーポラの中に入れるというのを聞いて上まで登ってみた。途中までエレベーターであとは狭い階段をぐるぐる登っていく。そしてクーポラの内側に出ることができた。ミサの様子が上からすっかり見えた。更に上に続く階段があったので登ってみると、クーポラの頂上の外側にある展望台に出ることができた。なんという素晴らしい眺め!サン・ピエトロ広場がきれいに見下ろせた。ローマの最後の思い出がクーポラから見たローマなんて最高ではないか!
 

 
お土産を購入した後ホテルをチェックアウトして電車でオルヴィエートへと
向かった。
オルヴィエートは高い台地の上に作られた要塞都市で、まるでそこだけを残して周囲全てが地盤沈下して天空にとり残されているように見える不思議な街だ。
駅からケーブルカーに乗って街まで上がった。
かつてエトルリア人が住んでいたらしいがローマ帝国に攻め落とされたそうな。16世紀のローマ略奪の際に教皇クレメンス7世が避難した場所がここだ。
オルヴィエートは白ワインの産地でもある。オルヴィエートクラシコはワシの好きなワインの一つだが、これからも飲むたびに思い出すことだろう。
 

 
街はまさに中世そのままという印象を受けた。街を歩く人間の衣裳だけ昔のものに変えて、車やバイクを隠してしまえばいつでも中世に戻れる。なんというか極めて文学的だ。街のシンボルであるドゥーモは群を抜いて背が高い。街の象徴である「モーロの塔」も聳えているが、あとはせいぜい3階建程度の建物ばかり。和やかさが漂う街だ。
 

 
今日の宿は中世からある建物の内部をセンスよく改装したB&Bで、きれいで快適だった。窓を開けると鳥と子どもの声しか聞こえなかった。まるで夢のような穏やかさだった。
カフェでお茶したり、ジェラートを食べたりした後、観光客向けの洞窟ツアーに参加してみた。オルヴィエートの地下はかつて凝灰岩を採掘した洞窟が迷路のように広がっている。どの時代にどういう用途があったかをガイドさんが詳しく説明してくれた。
 
夜は街一番のレストランで食事。もちろんオルヴィエートクラシコも飲んだ。
食後に淡いオレンジ色の街燈に照らされた街をふらふらと散歩した。角から今にも中世の衣裳を着た人が出てきそうだった。不思議な夜だった。
 

 
「オルヴィエート」

鳥の声 寝そべる猫と 石畳
オルヴィエートの 時は流れず

(日本時間)4月29日(月)ローマ快晴
快晴。夏のように気温が上がった。暑いが空気が乾燥しているせいか、じめじめした気持ち悪い汗はかかない。日陰に入ると十分涼しい。こういう気候が好きだ。
本日の目玉は古代ローマの散策だ。近接する「コロッセオ」、「フォロ・ロマーノ」、 「カピトリーノ美術館」をはしご。
 
「コロッセオ」はもともと皇帝ネロの宮殿「ドムス・アウレア」の庭にあった人工池の跡地を利用して作られた闘技場だ。長径188m短径156mの楕円形。高さは48mもある。なんと45,000人も収容できたらしい。日除けに布を張ることができたらしいからちょっとしたドーム球場だ。この日除けの布がなくても全ての席が1日に20分以上直射日光があたらないように設計されていたというから古代ローマの建築技術には舌を巻く。
それにして上の階から全体を見渡すとなんとも壮大な建物だ。古代ローマ人の歓声や剣闘士の剣の音が聞こえてきそうだ。
 

 
「フォロ・ロマーノ」はローマ帝国の時代に約300年ほど政治・経済の中心地だったところ。初代アウグストゥスが起工した「コンコルディア宮殿」、ドミティアヌス帝が建設した「ウェスパシアヌス神殿」、元老院議事堂の「クリア・ユリア」、パルティア遠征の戦勝記念である「セプティミウス・セウェルスの凱旋門」、カエサルを神として祀っているいる「ディウウス・カエサル神殿」、公文書館の「タブラリウム」
などが集まっていた。さぞかし壮観な街並みだったろうと思うが、今ではほとんどの建物は倒壊しており、わずかな痕跡を留めるだけのものが多い。だがそれだけに空想の都は果てしなく広がる。
 

 
「カピトリーノ美術館」
は古代ローマの美を鑑賞する場所だ。なんといっても堂々たる「マルクス・アウレリウスの像」が素晴らしい。ローマでキリスト教が国教になって以来、かつての多神教時代の皇帝の像は破壊されていったらしいが、この像はどういうわけかキリスト教を公認したコンスタンティヌスの像だと誤解されていたので破壊されずに済んだそうな。運のいい像だ。それとローマ建国の祖であるロムルスとレムスが狼の乳を飲む像もある。
 

 
昼食休憩の後は「トレヴィの泉」までバスで移動しようと思ったが、地図で見るとそれほど遠くないのでコルソ通りをぶらぶら歩くことにした。休みなのでコルソ通りは歩行者天国状態だった。この道はかつてゲーテが歩いて祭りの様子を「イタリア紀行」に残しているから歩きながらも感慨深いものがあった。
それにしてもローマは魅力がいっぱいだ。なるほどゲーテが合計で1年以上ローマに滞在してなかなか帰らなかったというのもよくわかる。
 
「トレヴィの泉」はバロック時代の噴水。像が3つ立っているが真ん中が水の神ネプチューン、左が豊穣の女神ケレス、右が健康の女神サルース。だが観光客にとってはそういう由来よりもコインを投げるおまじないの方が大事だ。後ろ向きに投げ込まないといけないが、1枚だと再びローマに来ることができる、2枚だと好きな人とずっと一緒にいられる。3枚だと恋人や伴侶と別れることができるという言い伝え。泉の周囲は観光客で埋め尽くされているが、いろんな人種がみんなしてコインを投げているから面白い。世界中の人が同じことをして楽しそうに笑っている。なんとも素晴らしい光景だ。世界平和だ。戦争なんかやめようぜ。
ちなみに投げ込まれたコインの半分はチャリティに寄付される。後の半分はどうなるんだ?
 

 
「スペイン広場」には言わずと知れた「ローマの休日」で有名になった「スペイン階段」がある。上の方に座ってあのシーンを思い出す。ジェラートを食べるオードリー・ヘップバーンの後ろから偶然を装ってグレゴリー・ペックが声をかける。「Hey! It's you!」
後ろの「トリニタ・ディ・モンテ教会」の美しさは格別だ。
 

 
「サンタンジェロ城」をたそがれに訪れた。ここはハドリアヌス帝が自分の霊廟として作らせたものだが後に軍事要塞的な存在になった。その前にある「サンタンジェロ橋」はジャン・ロレンツォ・ベルニーニのデザインだ。ローマはこの人が関係しているものが本当に多い。
かつてペストが流行した頃、時の教皇グレゴリウス1世がこの城の頂上で剣を鞘に納める大天使ミカエルを目撃したらしい。その時の姿が銅像になって城の頂上に再現されているんだが、全くかっこいい話だ。剣を納める姿の凛々しさ!その剣でペストを退散させたのだろうか。
 

 
この古い城にはなんとカフェがある。お茶しながらローマの街を眺めることができるなんて最高だ。たそがれていくローマを見下ろしながら思った。「いつか住んでもいいなぁ」
 

 
「ナボーナ広場」はこれまた ジャン・ロレンツォ・ベルニーニによる「四大大河の噴水」がある。今日の晩飯はこの広場の一画にあるお店にした。ベルニーニを眺めながら食事か。見上げると淡い夜空。この空は今日だけの空。
 

 
「トレヴィ」

トレヴィにて コインを投げて 誓うひと
言葉違えど 笑顔は同じ

(日本時間)4月28日(日)ローマ曇り時々晴れ
今回の旅にはいくつかの大きな目玉があったが、その一つが「ローマの休日」のラストシーンに使われた「コロンナ宮殿」に行くこと。
 
「コロンナ宮殿」は他の美術館や宮殿に比べると外側は地味で目立たない建物だが、中には壁にびっしりと絵画が飾られて豪華絢爛という感じだった。映画は白黒なのでわからないが、広間のまばゆいばかりの鮮やかさには圧倒された。オードリー・ヘップバーンが立った場所から広間全体を見た時にはまさに鳥肌が立った。そしてグレゴリー・ペックと同じようにゆっくりと歩いて、最後に一度だけ振り向いた場所に立った時にはまた鳥肌。あぁここで撮影したんだ、ここに二人がいたんだ、そう思うと感動は途切れなかった。既にオードリー・ヘップバーンもグレゴリー・ペックもウィリアム・ワイラーもいないけど、彼らの残した名シーンは永遠に残るのだ。そして永久に人を魅了するのだ。ここはいわば感動が生まれた場所。もうこれだけでローマに来た甲斐があったと言える。
 
「Rome. By all means, Rome. I will cherish my visit here in memory, as long as I live.」
 

 
ローマは街の中に名所があるというより、名所の中に街があるというほうがふさわしい。どの位置にいてもそこからそれほど歩く必要なく何らかの名所に行ける。だから目的地を決めていたとしてもつい目に入ったものに立ち寄ったりして寄るところが増えてきりがない。

「ジェズ教会」は元イエズス会の総本山でバロック様式のファサードが見事だった。ここの天井画は浮き上がって見えるらしいが、暗くてよく見えなかった。ここはリサーチしてなく、たまたま見つけたので寄っただけ。だからいろんな見るべきものを見逃していたようだ。なんでもフランシスコ・ザビエルの右手があったらしい。まぁそれを是非見たいのかと言われれば微妙なもんだが。
 

 
「サンタマリア・ソプラ・ミネルヴァ教会」
はミケランジェロの大理石像「十字架を運ぶイエス・キリスト」が有名だが、ワシはそれよりもここであのガリレオが異端審問で地球は回っているという自説を放棄をさせられた場所として興味があった。偉大なるガリレオの屈辱の場所だ。しょうがない、否認しないと火あぶりだからな。それは避けたいわな。
 

 
「パンテオン」は紀元前25年に初代ローマ皇帝アウグストゥスの側近マルクス・ウィプサニウス・アグリッパが建設したが、今あるのはそれではなくハドリアヌス帝が再建したものだ。それでも西暦120年前後の話だから十分過ぎるほど長い歴史を生き抜いている。頂上部分にはオクルスと呼ばれる明かりとりの開口部がある。オクルスとは目という意味だ。当時の最高の建築技術を駆使したことだろう。見事なもんだ。
 

 
「サン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会」は何と言ってもカラバッジョ!ワシの大好きな画家、ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョの有名なマタイ三部作「聖マタイの召命」「聖マタイと天使」「聖マタイの殉教」がある。行ってみると他にも宗教画はたくさんあったが、観光客のほとんどはこの三部作の前に集まっていた。ワシもなんとかその人ごみの中で写真を撮ってきた。あぁこれぞキアロスクーロの傑作!光と影を自在に操るカラバッジョの神業を生で見れるこの幸せ!
 

 

 
「サンタゴスティーノ教会」にもカラバッジョがある。「巡礼の聖母」だ。これもまた有名な絵だ。それから柱に描かれたラファエロの「預言者イザヤ」もある。小学校の先生がラファエロの絵について子どもたちに説明していた。この子たちは巨匠の絵の本物を見て勉強できるわけだ。そりゃ感性も育つわな。素晴らしい教育環境だ。
 

 
ここで昼食休憩。イタリアの料理はとにかく量がすごい。それに意外と味が濃いことが判明。だがうまいから別に問題なし。イタリアの人にとって昼食は大切なリラックスタイム。昼過ぎにシャッター下している売店が夕方にはまた開いていたのであれ?と思ったらなんと昼の休憩だった。2時間くらい休むらしい。そのゆるさ、好き。

「バチカン美術館」はとにかく人多過ぎ。多過ぎ。多過ぎ。うんざりするほど人多過ぎ。中は延々と人の行列。たくさんの作品を見ながら長い長いルートをちょっとずつちょっとずつ歩いて先に進む。逆に行けないし迂回路もない。とにかく流れに身を任せるしかない。狭い通路では息がつまりそうだった。正直ゆっくり見たいというより早く出たいという気持ちの方が勝っていた。
だがラファエロの間の「アテネの学堂」にはさすがに感動。人物にはそれぞれモデルがいたらしい。ダビンチやミケランジェロもいる。ちなみに右端の方に控えめに自分もいるらしい。
 

 
そしてついに「システィーナ礼拝堂」へ。天井画には圧倒されたがここも人の渦。天井はミケランジェロが描いた人間でいっぱいだが、床はそれを見上げる人間でいっぱいだ。これだけの作品ならじっくり1時間ほど眺めていたいところだが次々に人が入ってくるのでそうもいかない。さっさと出ないといけない。なんとも慌ただしい鑑賞だ。
 

 
バチカンで思ったことだが、ローマはやはり世界の観光地だ。とにかくいろんな人種が集合している。様々な色の肌、眼、髪の人間が様々な言葉でしゃべっている。バベルの塔もさもありなんだ。すごいもんだ。
だが共通しているのはみんなスマホとデジカメを持っていること。現代ならではの文明画一化の一端というところか。
 
夜は適当に見つけたピッツェリアでピザとステーキとワイン。これがまたうまいんだな。ワシはここのステーキにはかなり感動した。イタリアの飲食店は活気があってそこにいるだけで楽しい。陽気な民族はいいもんだ。
 
「懐かしむ」

名優の 演じた場所に 佇みて
この先何度 懐かしむやら

(日本時間)4月27日(土)ローマ曇り
ローマには現地時間の19時ぐらいに到着。税関の窓口にあまり担当者がいなくて入国にえらく時間がかかった。
電車でテルミニ駅へ向かい、地下鉄に乗りついでホテルへ。ローマでの宿はバチカンまで歩いてすぐの場所。
ヨーロッパでは建物がとにかく古い。ワシらの宿も築何年か想像もつかないほど古いもので、どっしりとした貫録を見せていた。何しろエレベーターが昔の映画でよく見る箱がむき出しで鉄の格子の扉をガチャンと閉めるやつだから推して知るべしだ。それにホテルとはいえ建物の一部がそうであって他は住人のいるアパートだったりするのでまた面白い。
どこかの蔵でも開けるのかというようなでっかくて重い鍵で建物の入口と廊下と部屋と3回開けないといけない。こういうのをより便利にしようと改善しないところが逆に好きだ。こういう味のあることは改善の必要はないのだ。
 
とりあえず腹ごしらえということでホテルの前のピザ屋でマルガリータを食ったが、いきなり本場のうまさに歓迎されたので嬉しかった。お店の兄ちゃんが愉快な人で、姫に「コニチハ。アリガト。カワイイネ」を連発していた。
 

 
食後は夜の散歩。ライトアップされた「サンピエトロ寺院」と「サンタンジェロ城」と「サンタンジェロ橋」を見た。そのへんからジワジワと感動が湧いてきた。あぁ今ワシはローマにいるんだ!憧れた古き都ローマにいるんだ!と。ここは日本で言えば京都だ。京都は日本の歴史を凝縮した感があるが、ローマは世界の歴史を凝縮している。世界史を逆に辿っていくと行きつくのは古代ローマだ。つまりここから全てが始まったとも言えるのだ。その原点にいると思うと感動せずにはいられない。あぁ麗しのローマに我は来たり。

「ローマなり」

ローマなり 今いるここは ローマなり
かく憧れし 古都ローマなり

4月26日(金)東京晴れ 北京曇り
朝の便でまずは北京へ。約3時間の旅。そこでローマ行きに乗り換える。北京上空に入った時、黄砂でかなり視界不良だったのには驚いた。着陸も難しいのか上空は渋滞して到着がかなり遅れた。おかげで北京の空港を係員と一緒に走るはめになった。それにしても北京の空の濁り方はひどかった。霧の中を飛んでいるようだった。

走るはめにはなったが乗り換えの待ち時間がほとんどなかったことはありがたかった。すぐにローマ行きに乗り込んだが、待機している飛行機を見てワシは唖然とした。めっちゃ小さいし!こんなんで11時間も飛ぶのかとちょっと怖くなった。乗り込んでみると案の定狭い。エコノミーだからシートが狭いのは仕方ないが天井まで低いのでかなり圧迫感があった。しかも!ワシの隣には推定130kgはありそうな中国人のデブちゃんが座ってワシのスペースの1割ぐらいを侵犯していた。さらにそいつはほとんど寝てばっかりで、恐ろしいほどでかいいびきをかいていた。つまりは太りすぎで寝てる時にうまく呼吸できないのだろう。時々止まるので無呼吸症候群かもしれない。
ゆっくり寝られそうもないので映画を見ようと思ったが座席のリモコン的なものの操作方法がわからなかった。どうしたもんかと困っているとなんと寝てると思ってた隣のデブちゃんが親切に教えてくれた。だからまぁいびきの件は多めに見てやった。
 
映画を3本見て、イタリアの予習をして、ちょっと寝て、という感じで意外に早く11時間が経過した。
 
「エコノミー」
 
デブちゃんに ひじかけとられ 泣き寝入り
 
4月25日(木)晴れ
今日からイタリアへの旅。ヨーロッパはワシが独立した年以来だから14年ぶり。フランスが最後だった。当時はまだEUではなく通貨はバラバラだったが今はユーロが定着している。EU加盟国間では空港の関税も必要ないらしい。この14年でヨーロッパの旅はかなり勝手が変わってるようだ。
 
今日はとりあえず夜の便で東京へ移動してそこで一泊。
 
「古都ローマ」

身はいまだ羽田 こころは 古都ローマ

4月24日(水)晴れ
明日の夜にイタリアへ出発だが今日は夜中まで雑務に追われた。全部きれいに終わらせて心置きなく行きたいから必死だ。それなのにしばらくできないからと筋トレまでしてしまってかなりへとへと。
明日も夕方まで仕事してから空港へ。ギリギリまで忙しい。
さて、イタリアの空が呼んでいる。

「そなえ」

そなえよし 後は野となれ 山となれ
イタリアの空 おもひでとなれ

4月22日(月)晴れ
旅の前に蓄積した疲れをとっておくために「中国鍼灸院」さんへ。

「万物由無始」

呉炳宇

心無贅求難受騙、(贅求むる心無ければ騙るを受け難し)
先無観点是非清。(先に観点無ければ是非清し)
能無我者多良友、(能く我無き者は良き友多し)
常無形容易再生。(常に形無ければ再生容易なり)

(以下、えしぇ蔵的博多弁訳)

贅沢せんどきゃ騙されることもなかたい
先入観なけりゃ良し悪しがよぉわかるたい
わがままじゃなけりゃ友達は多かたい
形がなけりゃいつでんやりなおせるたい


う〜ん、今回の詩は特に深い。ワシにとってはいい戒めだ。
要するに”無”になることが大事だ。

「無」

先に持つ おもひなければ 是非清く
我のなきものは 良き友多し

4月21日(日)晴れ
午前中は韓国語の試験を受ける姫を試験会場に送った足で「マツノデザイン店舗建築」さんへ。
午後は姫を拾って東公園で「パンストック」のパンをかじった。風は冷たかったがいい天気で最高だった。

夜、DVDで「カラバッジョ」を見た。これも予習のうち。こういうのを見ておくと本物を見た時に感動が倍増される。カラバッジョの作品は特にしっかり見てこようと思う。どうもこの人の絵はワシの感性にストレートに響いてくるものがある。



「聖マタイの召命」


「光」

情熱の 筆は光を あやつりて
こころのうちも 照らすなりけり

4月19日(金)晴れ
ヨドバシに行く用事があったので旅行グッズのコーナーでちょいと買い物。イタリアはとにかくスリが多いということなのでスリ対策グッズを購入した。これでたいがい撃退できるだろう。あとは睨みをきかして。
思えばフランスに行った時もスリにあって冷や汗かいたことがあった。小さい子どもが新聞買ってくれ的な感じで集団で近寄ってきて目の前で新聞を広げるんだが、その新聞の下で小さい子がウエストポーチのチャックを開けようとしていた。慌てて振り払ったので被害はなかったが、あの時子どもたちが「け!失敗した!」みたいな感じで見せた邪悪に満ちた表情が忘れられない。近くにいたご老人が子どもたちを追い払っていた。あの子たちはどんな大人になるのだろうかと空恐ろしくなったのを覚えている。

どこの国に行っても思うことはいつも同じ。日本ほどいい国はない。こんなに平和に清潔に便利に暮らせるなんてすばらしいことだ。時にはそれを意識して環境に感謝すべきだなと思う。

「旅」

旅をして うまれし国の 良さを知る

4月16日(火)晴れ
今日は仕事終わってからワカガシーラ坂本さんとO師匠とボルダリンジムへ。今日も精魂尽き果てるまでトライした。今もこれを入力するのがつらいほど腕が疲れてる。
師匠はすいすい登るから自分にもできそうに思うのだが、やってみると全然進まないことに驚く。これほど見た感じとする感じのギャップが激しいスポーツがあるだろうか?
如何せん、握力がないことが判明した。筋トレメニューに握力を追加しよう。
それにしても知れば知るほど面白い。体力も必要だが頭はもっと必要だ。ちょっとした工夫で難関を乗り越えることができたりする。今日も一つ小技を覚えたのが嬉しい。

なんだか今年は新しいことにどんどんチャレンジできていい感じだ。

「ボルダリング」

見ることと することの差を 思い知る

4月14日(日)晴れのち雨
一週間も日記を書いてなかった!

イタリア、特にローマのことに関していろいろと予習中。本、映画、インターネット。知れば知るほど面白い。今回の旅が成功したらおそらくイタリアにはまることだろう。とにかく歴史好きにとっては魅力が多すぎる国だ。


ある人の勧めで今年中に某文学賞に応募することにした。構想はほぼ頭の中で出来ているので頑張って書けば締切に間に合うとは思う。ただ最後の結末がどうしても決まらない。ここしばらくそれで悩んでる。そこさえクリアすれば早速着手するとこなんだが。
それにしてもWEBと不動産の二足のわらじを履いているので書く時間を作るのが難しい。京都検定の受験は来年にして、「吉雄君行状記」も年内休載にしようかと思案中。

今日は姫と自転車で別府へ。「そふコーヒー」でまったりの午後。
夜はDVDでアンソニー・ホプキンズの「The Rite」を見た。悪魔祓いの話。実話をもとにしているというから恐ろしい。ネタ的には面白かったが、何かもうひとつ足りないような気がした。
 
「都」

いかなるや 覇者の都を すぐる風

4月8日(月)晴れ
今日、「中国鍼灸院」さんで呉先生に頂いた漢詩は、なんと!ワシの名前の漢字を使ったものだった。あぁなんという感動、先生ありがとうございました!

「神宮」

呉炳宇

神安人康健、(神安らぎて人健康なり)
宮静民太平。(宮静かにして民太平なり)
吉祥心常願、(吉祥心に常に願う)
昌盛喜勤行。(昌盛にして勤行を喜ぶ)

(以下、えしぇ蔵的博多弁訳)

神様が安らかなら人は健康たい
宮が静かなら世の中は平和たい
よかごとなるようにいつも願っときゃ
繁盛して働くとが楽しうなるばい

ワシの名前が各行の最初に使われている。この詩は縦にも横にも読むことができるように作られている。なんと素晴らしい!

「吉祥」

吉祥を 常に心に 願ふれば
昌盛にして 勤行喜ぶ

4月7日(日)曇り
午前中は掃除。そしてマンションの管理組合の役員会。
午後は姫と天神へ。ジュンク堂でゲーテの「イタリア紀行」全3巻を買った。ゴールデンウィークの予習のためだ。
その後は那珂川のジムへ。かなりハードに鍛えた。だが未だにチェストプレス104.6kgが上がらない。まだ日々のトレーニングが甘いのだろうか。結構厚い壁だ。

最近見たDVD。3月31日に「drive」、昨日「The Town」。どちらも姫セレクト。
「drive」は強烈にかっこいい映画だった。監督の手腕は見事なもの。カンヌ映画祭監督賞受賞だそうな。どうりで。
「The Town」はまずまずというところ。

「古の都」

文豪の 心眼いかに とらへんと
古の都 我誘ふなり

4月5日(金)晴れのち曇り
ここ最近読んだもの。フィッツジェラルドの「グレート・ギャツビー」、ロレンスの「チャタレイ夫人の恋人」、新潮社編「塩野七生『ローマ人の物語』スペシャルガイドブック」、塩野七生「ルネサンスとは何であったのか」
フィッツジェラルドとロレンスはもはや言うことはない。どちらも大変な傑作なのに”死ぬほど頑張って書きました!”的な気負いが感じられず自然な感じが作者の基本的な筆力を表しているように思う。もの書きとして到底次元が違うのだ。
4月に入ってからはゴールデンウィークに行くイタリアのための予習に入った。イタリアとくれば塩野七生。彼女のライフワーク「ローマ人の物語」は文庫本で43冊ととても旅行前には間に合わないのでガイドブックのみ。帰ってきたら読もうと思う。
それにしても塩野七生という人には全く脱帽だ。イタリアに住んでひたすらその歴史を研究をし自説を発表し続ける姿勢は、人生という時間を一つのことに捧げる素晴らしさを教えてくれる。おそらく彼岸に旅立つ時には静かに水をたたえた大きな湖のような充実感と、険しい高峰を征服したような達成感に満たされることだろう。
いわばそれなんだな。結局ワシが欲しいのは。充実感と達成感だ。これに尽きるのだ。
命短し仕事せよ男 だな。

「人生」

恵まれし 人生いかに つかふべく
おもひまどひて またもいちにち

4月1日(月)晴れ
夕方、姫をソウルに送り出した後、東区のボルダリングジムへ。ついにボルダリング初体験!ワカガシーラ坂本さんと、今日教えて頂く師匠のOさんと3人で。
ネットの動画で見てる分には自分でもできそうに思えるのだが、実際にやってみるとかなり難しいことが判明。しかも全身の体力をことごとく奪われる。だが征服する喜びはまた格別。
他の人のムーブを見て参考にして自分もトライして、うまくいったり、落ちちゃったり、楽しい時間を過ごせた。
かなり疲れたけどこれからはまるのは間違いない。新しい趣味になりそうだ。
教えて頂いたOさんと坂本さんに感謝!

「ストイック」
 
そしてまた 新たな趣味も ストイック