この日記は全てノンフィクションであり、登場する人物・団体名などは全て実在のものです。
4月

4月29日(金)晴れ

今日はわが家のゴールデンウィークの恒例行事の一つ、波佐見陶器市へ。初日なので多いことを予想して去年と同じ6時半に家を出た。基山で朝食をとり、高速はほとんど渋滞せずに波佐見インターを下りることができた。
今年はいい感じだと思ったのもつかの間、そこから駐車場探しに一苦労。どこも満車。去年止めた広い駐車場もダメで、とうとう最後の手段。かなり離れた場所にある公営の駐車場に止めて、そこからシャトルバスで移動。こういうパターンは初めてだ。
思い返せば初めて波佐見の陶器市に来た頃はガラガラで、駐車はどこにでも止めてくれという感じだった。有田波佐見インターを下りた客のほとんどは有田方面に流れて、波佐見は空いてたのでゆっくり見ることができた。それが年を追うごとに増えていき、とうとう今年はシャトルバスだ。会場は歩くのも一苦労の人の波。すっかりメジャーになってしまった。

ワシらも買い物のコツを覚えて、広場で見に行く店は2つか3つ。そこで買い物を終えるとすぐに広場から出る。ワシらが行くのはろくろで一つ一つ手作りする「福春」とセンスのいい「一真窯」、父娘でされてる「京千」。そのそれぞれでいいものを見つけることができて満足。



その後はこれも恒例のおばちゃんのかまぼこをゲットし、お昼は「かわち」でにぎりめしを食べ、HANAわくすいをのぞいたり、ジェラートを食べたりして、1時には波佐見を後にした。



夜は戦利品のかまぼこと対馬のうになどで宴。これも恒例だな。こうやって毎年同じことができることがどんなにありがたいことか。感謝感謝。

「波佐見」

もう一年 昨日のごとき 波佐見かな

4月24日(日)晴れ

熊本に家族や親戚がいるお客さんを通じて現地の惨状が伝わってくる。一般家庭から熊本城まで、全てが元通りに復旧するのにどれくらいかかるだろうか?でも多くの支援が集まっている様子なのできっと早いはず。
事態が落ち着いて交通網が正常に戻ったら、熊本と大分のために自分なりに何かできることをしようと思う。間接的なことでもいろんなことができると思う。それぞれが少しずつできることをやるだけでも、集まれば大きな支援になるはず。
熊本、大分、がんばれ!

「余震」

また余震 南の空を 憂うなり

4月16日(土)晴れのち曇り
夜中に携帯のアラームとともに大きな揺れを感じた。結構長い時間だった。まさか木曜の夜に大きな地震が来た後に、それより大きな地震が来るとは夢にも思わなかった。その後もアラームが鳴って数回起された。おかげで今日は頭がぼーっとなったまま仕事へ。
それにしてもこんな大きな被害が出る地震になるとは思わなかった。熊本の惨状には言葉もない。一刻も早い復興を祈るばかり。
地震の国に住むからには他の地域の地震はひとごとではない。何かあるたびに次はここではないかと思ってしまう。何気ない日常生活がどんなに幸せなことであるかを認識し、非常時に備える。特に日本人には必要なことかもしれない。

「備え」

次はここ 恐れは常の 備えなり

4月14日(木)晴れ
夜、風呂洗ってる時に地震があった。結構揺れたらしい。それなのに全然気付かなかった。どんだけ集中して風呂を洗っていることか

宮城谷昌光の「晏子」を読み始めた。どうも最近中国史から抜け出せない。まぁしばらくはまるかな。宮城谷昌光の作品は読みやすくていい。今まで歴史作家は、司馬遼太郎、池波正太郎、海音寺潮五郎、山岡荘八、吉川英治などを読んできたが、その次に来る作家がなかなか見つからなかった。だから宮城谷昌光の本に出会った時は、「やっと見つけた!」という感じがした。
いい作家、いい作品との出会いは、いい人との出会いに匹敵する。

「出会い」

不動産 作家 友人 赤ワイン
出会い難きも 出会いたきもの

4月2日(土)晴れ
4月が始まり、またせっせと走る日々。今夜の大濠公園は夜桜を観に来た人で賑わっていた。けやき通りから舞鶴公園方面に行く道の渋滞がすごかった。酔客もあちこちに。半ばお祭り騒ぎの中を人をよけながら走るというのはなんか変な感じで、さすがにあまりランナーはいなかった。
もう全く寒くないので走るのが楽しい。暑くなるまでのしばしの間、気候を楽しみながら走ることができる。

「夜桜」

夜桜を 見上げてにおう バーベキュー