この日記は全てノンフィクションであり、登場する人物・団体名などは全て実在のものです。
7月
7月27日(金)晴れ
術後8日経過。腫れの引きは8割ぐらい。完全に引くにはもうしばらく時間がかかりそうだ。

トレーニングは既に再開。体力つけてないと今年の夏は乗り切れない。
それにしてもこの暑さはすごい。間違いなく今までで最高に暑い。温暖化のせいなのだろうか?昔はこんなに暑くなかったはず、と思ってちょっと調べてみた。

日本気象協会の記録を見てみると、福岡の気温の一番古い記録は、1890年(明治23年)だった。その年の8月の気温を見てみると、最高が34.7度、最低は27.7度、平均はなんと30.7度だった。33度以上になったのは5日間だけ。涼しいではないか。こんなにも違うものかと驚いた。アスファルトも室外機もない、まして温暖化の心配もなかった時代の夏はそれほど厳しくなかったようだ。

ちなみに昭和と平成の東京の気温を比べてみると、最高気温が35度以上になった年は昭和の64年間で34回と約半分。一方で平成の30年間ではなんと25回!日本の気温は確実に上昇してる。今年はついに40度を超えた都市も出たが、このままいくと日本の夏は一体どうなるのだろう?

「滾る夏」

滾る夏 未だ七月 如何にせん

7月20日(金)晴れ

夏目漱石風)

入院三日目の朝、血液検査の結果が問題ないといふことで吉雄は退院することになった。 すぐに身の回りのものをバッグに詰め込んで、福大病院から地下鉄に乗り込んだ。
薬院大通り駅を降りて通りに出ると、刺すやうな日差しと包み込むやうな暑さが吉雄に襲いかかった。入院中はついぞ知らなかった猛暑だ。吉雄はここから自宅までの道のりをバスに乗ろうかそれとも奮発してタクシーにするかと思案したが、ともかく家の方角に歩きながら考えやうと思った。
日陰を選びながら歩いたが、考えるのは全く別のことばかり。気付いた時には道のりの半ばまで来ていた。吉雄はえいここまで来たなら歩いてやれと思った。二日間寝ていた割には身体が軽いのもあって歩くのもそれほど気にはならなかった。
帰宅すると亜樹がエアコンの効いた涼しい部屋で仕事をしていた。
「存外早かったんですのね」
「ああ。地下鉄だとあっという間だね」
「駅からはバスに乗ったんですの」
「いやぁそれがさ、バスにするかタクシーにするか思案しながら歩いてたらもう家まで来ちゃったよ」
「まぁ。ずいぶん歩いたでしょ」
「なにたいした距離じゃないよ君」
「お腹空いてらっしゃるでしょ。お昼は早くにしますね」
「うん頼むよ。とりあえずシャワーを浴びるよ。こう暑くっちゃかなわない」
2日間の汗と垢を流して涼しい居間に戻ると、吉雄は生き返る心地だった。
「ツール・ド・フランスを録画してますわ。ゆっくりご覧なさいな」
「そうだな。たまにはゆっくりさせてもらうか」
「そうなさいな。そして少しお眠りになるといいですわ」
「いやもう寝るのには飽きたよ」
午後はテレビを見たり本を読んだりと吉雄は随分と骨を休めることができた。留守をしたのはわずか2日のことだったが、吉雄には家がひどく懐かしく感じられた。

「己が城」

心地よき いくさの後の 己が城

7月19日(木)晴れ

昨夜10時には寝たので今朝は5時に起きた。既に絶食状態に入ってたので朝食も抜きで手術の時間を待った。
今回は一番手で8時半スタート。8時に姫が来て支度を手伝ってくれた。 時間ちょうどにお迎えが来ていざ手術室へ。

3回目ともなると勝手知ったるもの。点滴の針を刺し酸素マスクをかけ、「今から眠くなる薬が入りますよー」の声を聞いて15秒ほど経過したろうか?次の瞬間には別の部屋にいた。まったく全身麻酔はタイムマシンだ。

病室に戻り、姫の顔見てホッと一安心。聞くと今回の手術は30分ほどだったらしい。 さて、これでどこまで治るか楽しみだ。一応これが最後の硬化療法の予定。

1時にようやく水分解禁になった。食事は夕食まで我慢だが不思議とあまり空腹は気にならなかった。
点滴の管と尿の管がついてるのでベッドから出ることはできない。することないのでひたすら読書、寝る、読書、寝るの繰り返し。 夕食は例によって今一つ、二つ、三つだったがなんとか頑張って食べた。左頬が腫れて食べにくいので刻み食だったが、トコロテンまで刻んであるのには笑った。最初見た時は何かと思った。

夜もひたすら読書。「三四郎」は読んでしまったので「それから」へ。

「尿の管」

やるせなき ただやるせなき 尿の管

7月18日(水)晴れ

今日から福大病院に入院する。頬の血管腫の3度目の手術。前回までで8割ぐらい腫れが引いたので、今回は最後のとどめの予定。

午前中に病院に入った。今日は特にすることはない。今一つ、二つ、三つくらいの昼食の後はひたすら読書、寝る、読書、寝る… 。
なんだかいくらでも寝ることができるんだが、疲労が蓄積しているのだろうか?

夕方、担当のA先生の診察を受けた。 エコーをして、その画像を一緒に見ながらの会話。

A先生:「この点々がまだ残ってるところです。もうほとんどないでしょ?これを今回止めますから」
ワシ:「はい」
A先生:「またしばらく腫れますよ」
ワシ:「はい。前回は1週間で引きました」
A先生:「じゃあ今回はもっと早いかもしれない」
ワシ:「はい」
A先生:「あのね、この治療はね、大阪冬の陣、夏の陣みたいなもんですよ」
ワシ:「はい?」
A先生:「最初に外濠を埋めてね、後で中を攻撃する」
ワシ:「あぁそういう例え……」
A先生:「ということで、明日は頑張りましょう」
ワシ: 「よろしくお願いします」

横で女医さんが笑ってた。
その後はまた今一つ、二つ、三つくらいの夕食を食べ、シャワーを浴びてまた読書。入院のためにネットで買った本が間に合わなかったので、夏目漱石の「三四郎」と「それから」を持ってきた。
明日は朝から手術。いざ、大阪夏の陣へ。

「夏の陣」

濠埋めて 腫瘍を討つや 夏の陣

7月15日(日)晴れ
こんな猛暑の日に山に登るなんて頭おかしいんじゃないの?と思われそうだが、なぜか登ってしまうのがワシら軟弱登山隊。今回の山は2回目のチャレンジの「若杉山」と「米ノ山」。
前回の「若杉山」は2008年10月。その時は一番下から登ったが、今回は手抜きで若杉楽園キャンプ場に車を止めてから出発。
「太祖山 金剛頂院」の裏手に続く道から登山開始。神功皇后の神話に由来する「綾杉」や幹の周囲が16m以上あるという「大和杉」などを見た後、ちょっと道に迷った。





なんとかコースという表示を見つけたのでとりあえずその道を行くとなかなかの急な登り。そして行く先に見えたのは天国への階段。



それを登りきると「北山神社」だった。



その先に面白そうな小道があったので下ってみると、大きな岩の下をくぐった先で「はさみ岩」なるものに遭遇。これには驚いた。明らかに前回体験していないスポットだ。







再び石段を上がって「奥の院」を過ぎると、すぐに「若杉山」の頂上に着いた。10年ぶり。



ここでお昼を食べてから、次の目標「米ノ山」へ。ここは車道があるが、敢えて急峻な山道を選んで登った。



そして「米の山」頂上に到着。なんとも控えめな表示。



そして大パノラマの「米ノ山展望台」へ。ここは福岡がほぼ全て見える圧倒的な見晴らし。天気も良くて最高。



ということで今日のミッションを終えたワシらは、麓にある「若杉の湯」で汗を流してから帰宅した。


「若杉山」はなかなか見所満載で面白かった。前回は見なかったものがたくさん見れて楽しかった。「若杉山」はなかなか楽しい山だ。

「若杉」

若杉に 登るふたりは 若すぎず

7月9日(月)晴れ
先週の金曜日の午前中は「雷山千如寺」さんにいた。あの大雨の最中だった。駐車場に車を止めて仕事をこなし、終わってから車に戻り次の所へ移動した。その後、ワシが車を止めた場所の後ろの崖は土砂崩れを起こした。
今日、和尚さんから電話でその話を聞いてぞっとした。そして送られてきた写真を見て再度ぞっとした。



帰るのが遅くなってたらワシのジャガ男君は土砂に埋まってた。もっと最悪なタイミングだとワシまで埋まってた。なんてこった!

運がいいのか悪いのかよくわからない人生だったが、実はこうしてギリギリのところで悪運を免れてきたのかもしれない。
無事に生きてるだけでなんと幸せなことか。

「無事」

死の淵も 紙一重なり 日々の無事

7月7日(土)曇り
大雨ですったもんだの金曜日が終わり、今朝ようやく雨がやんだ。それにしてもひどい雨だった。

最近、この本にはまってる。



「101人の画家」。美術史に名を残した101人の画家の生涯と代表作をわずか見開き2ページで1人ずつ漫画で紹介していく。本当にさっくりではあるがきちんとポイントは抑えてあり、知識として記憶に残しておくにはちょうどよい量。
知らない画家との出会いもあるし、断片的にしか知らなかった画家の知識も整理できる。実に素晴らしい一冊。これでまた美術館に行くのが楽しくなりそう。

絵は感性で見るのが一番だ。でも知識があって見るのもまた楽しい。

「画家」

好きな画家 問われておもふ すべてよし

7月3日(火)台風
久しぶりに台風らしい台風が来た。午後も早めに仕事を切り上げ帰宅したがその後、外は大荒れになったのでそれが正解だった。
我が故郷対馬を縦断していった様子だが、果たして故郷は無事だろうか?

子どもの頃は強烈な台風が年に一つは来てたような気がする。停電も頻繁だった。ロウソクや懐中電灯は必須アイテム。一番強烈な台風の思い出は、風が床下に入りこんで畳がふわーっと浮いたこと。あの時は本当に怖かった。自分の部屋で一人で怯えてた記憶がある。

今ではマンションの窓を閉めれば風の音すら聞こえない。台風など全く別世界の出来事のようだ。ずいぶんと日本人の暮らしも変わったものだ。
夜は台風もよそにひたすら自宅で筋トレ。

「低気圧」

筋トレや 構う暇なき 低気圧