この日記は全てノンフィクションであり、登場する人物・団体名などは全て実在のものです。
3月
3月31日(日)晴れ
ホテルの朝食を済ませ、チェックアウトしてちょっとゆるめの出発。京都駅に荷物を預け、今日唯一の目的地「醍醐寺」へ。

ちょうど12年前、「12ヶ月全ての京都を楽しむ」シリーズを始めた時、最初のテーマが秀吉に思いを馳せた「醍醐の花見」だった。その時に見た「醍醐寺」の桜をもう一度見て、このシリーズを締めくくろうと思った。
3月末の京都の桜はまだ早いが、ここ「醍醐寺」の枝垂れ桜は一足早く満開を迎える。だから観光客は大挙してここに集まる。前回もそうだったが、今日も人出はすごかった。ただ前回と違うのは聞こえてくる言語が多岐に渡ること。

「醍醐寺」の枝垂れ桜はまさに満開!天気も良かったので大量に写真が撮れた。あぁここ覚えてる、あぁここ歩いた、と思い出しながら楽しんだ。














それにしても12年という歳月の早さ!あの頃はワシにとって苦行のような12年が前途に待つとは夢にも思わず、桜を見上げていたわけだ。そして今、疲れきった自分を思い、変化した周囲を思い、悲しいやら情け無いやら。 まぁ人生とはそういうもんなんだろう。喜び2割、苦しみ8割。それでも生きなければならない。ならば2割を支えに8割を乗り越えるしかない。

桜をたっぷり堪能した後は京都駅に戻り、遅めの昼食と買物を済ませてバスで伊丹空港へ。夕方の便で福岡に戻った。

最終回の京都の旅も無事に楽しく終えることができた。常に一緒にいてくれた姫には本当に感謝している。一生半人前のワシは姫がいてくれることでなんとか生きていける。今後ともよろしくお願いします。

ということで、「12ヶ月全ての京都を楽しむ」シリーズはこれにて完結。 ……でもまだまだ楽しみたいので、いずれまた行くつもりのワシらであった。

「醍醐の桜」

あの日見た 醍醐の桜 ひとむかし
何を学びて 何をうしなふ

3月30日(土7)曇り時々雨
ホテルの朝食を済ませた後、早速バスに乗ってこの旅のメインである大原へ。
バスだと京都から約1時間ほどの移動。かなり山奥の方に入っていく。ここは古来から貴人や僧侶の隠棲の地として知られている静かな里だ。

到着してまずは「三千院」へ。なんとも静かな佇まいは、たしかに"恋に疲れた女が一人"で来そうな落ち着いた雰囲気。
天台宗門跡の中でも歴史がかなり古く、起源は最澄の時代まで遡るらしい。もとは比叡山にあった円融房に始まり、あちこちと移転した後、明治4年に大原に来たそうな。
広い境内は自然を生かした素晴らしい景観が広がり、散策が楽しかった。







その後、「実光院」、「勝林院」を覗いた。
勝林院はあの"大原問答"が行われた場所。 浄土宗を開いた法然を、真言宗、天台宗、華厳宗などの他宗派の僧侶たちが大勢集まって論破しようとしたが、法然は一昼夜に渡って見事に論戦に打ち勝ったらしい。それも たった一人で。どんなすごい人だったのだろうかと興味がわいたので、今度詳しく調べてみようと思う。



次は「宝泉院」。額縁の間で庭を見ながらまったりと抹茶を頂いた。庭にでんと構える「五葉の松」は樹齢なんと700年だそうな。ワシらの人生など瞬きの間だ。



見上げればここにも伏見城の血天上があった。静寂の間の上には地獄の名残というなんとも意味深い空間。



ここには平成17年にできた「宝楽園」という現代のデザイナーによる庭もあるが、これが非常に斬新でユニークだった。



静かな場所で静かな時間を過ごせる幸せを噛みしめたひとときだった。

その後はしばらく歩いて移動して「寂光院」へ。ここは大原の中でもまたさらに奥の方にある。
「寂光院」とくれば平家物語に触れないわけにはいかない。源平合戦のクライマックスである壇ノ浦の戦いで、一族こぞって死んだ中で一人生き残った建礼門院徳子は、京都に送り返された後に出家し、この地で一族の菩提を弔いながら余生を過ごした。 我が子の安徳天皇をはじめ、一族ほとんど死に絶えた後に自分だけが残されるというのはどれほどつらいことだったろうか。その心境を推し量りつつ境内を歩いた。





ここでお昼になったので「クルム」でランチした。このお店のカレーのおいしかったこと!なるほどこれだけの味なら京都の繁華街でなくとも勝負できるというものだろう。

その後再びバスで京都に戻った。出町柳駅付近で降りて、ぷらぷらと買物しながら「京都御所」へ。一足先に咲いてる桜を見た。
「京都御所」の後はまた街を散策。買物したりお茶したりしながらホテルに戻った。

少し休憩した後、買物してから夕食のお店「京都ネーゼ」へ。前回の旅に続き2回目。今回もまたうまかった。
前回はカルボナーラに感動して自宅で再現にトライしたが、今回のプッタネスカはトマトソースの絶妙さがちょっとワシには再現できそうにない。だがプロならここまで美味くなるんだという感覚をつかんだだけでも参考になった。
ワインも生ハムも鴨のコンフィも最高だった。 次回はコースが食べてみたい。

ということで2日目も無事終了。明日は醍醐寺へ。

「寂光院」

大原や 栄華ののちに 尼ひとり
袖をぬらすや 朧の清水

3月29日(金)晴れ
「12ヶ月全ての京都を楽しむ」シリーズを始めてはや12年!ついに今回、その最終回を迎える。 今回のテーマは、「大原 隠棲の里を歩く」。京都の市街地から少し離れた大原を楽しもうという企画。

今回は飛行機を使った。朝5時起きで、8時発の関空行きに乗り、関空からは高速バスで京都へ。心配だった渋滞もなく、11時前には京都駅に着いた。
まずはランチのために「円山公園」に移動。そして第1回の時に食べにきた「ひさご」で親子丼を食べた。12年経ってもやはりうまかった。

午後、腹ごなしにぷらぷらと歩いていると、「安井神社」というところに行列ができてるのを発見。何ごと?と思いつつ見てみると、みんな順番に穴をくぐっていた。なんでも縁切り、縁結びの神様らしく、表から裏へくぐるのが縁切り、裏から表にくぐるのが縁結びということだった。 なんとも面白いものに遭遇したもんだ。



その後、本日のメインである桂離宮へ。さんざん京都に来てるのにこんな大物を見逃していたなんて!ここは予約が必要。時間に遅れないように桂へ。
到着してもまだだいぶ早かったので、中村軒でお茶した。ここはなんと皇室御用達!園遊会への招待状が額にして飾ってあった。 麦代餅とよもぎ善哉を食べたが、そのうまいこと!なるほど御用達はやはり違うなと納得。



時間になり、桂離宮へ。ここは有料だがガイドさんがわかりやすく説明してくれるので、どんな庭園なのかは大まかに把握できた。 客人をもてなすためにありとあらゆる工夫が随所に施されており、日本の庭園の素晴らしさを存分に味わうことができる造りになっていた。
もう本当に感動の連続! ガイドさんの

「建築物は完成した瞬間に劣化が始まるが、庭園は完成した瞬間から成長が始まる」

という表現が強烈に印象に残った。まさにその通りだと思う。何十年も先の姿を思い描いて造園にたずさわる人々の凄さに改めて敬意を感じた。
いくら美しい建築物といえど、自然の美には到底かなわない。だが庭を作ることはいわば人間と自然の合作だ。ということはそこに計り知れない可能性があることになる。工夫と年月によってどこまでも美を追求できるなんて本当に素晴らしい世界だ。









名残惜しい桂離宮を後にして京都に戻り、ホテルにチェックインした。今回の宿は「ホテルリソル京都 河原町三条」。
この時期は春休みだし花見客も多いのでなかなか宿が見つからずここしかなかったので選んだわけだが、これが大正解。和モダンのデザインが素晴らしく、細かいところまで配慮した工夫が見られ、実に快適に過ごせるように造られていた。

ホテルで一息ついた後、夕食へ。1日目の夕食は今回で3回目となる「アジェ」の本店。またいつものように肉をたらふく食べて、ワシはビール、姫はマッコリを飲んだ。 安くおいしく腹いっぱいになれるこういうお店は本当に重宝する。

ということで1日目は終了。明日は大原へ。

「桂離宮」

もてなしの こころ形に 桂離宮
光陰はるか 進化を止めず

3月24日(日)晴れ
今日は風が冷たかった。舞鶴公園の桜はまだ咲かない

姫と自転車で初マークイズ。
映画「グリーンブック(原題:Green Book)」を観た。実にいい映画だったし、これは多くの人が観るべき映画だと思った。人種差別はどこの国にもある。自分の方が優位だと思うこの愚かな考えを人が持ち続ける以上、戦争を筆頭に様々なトラブルはなくならないだろう。そんなことを考えながら観た。
しかしモーテンセンの演技は素晴らしかった。役作りの根性にも脱帽。

来たついでにマークイズ探訪。なんと!フードコートにナポリで食べたピザ屋「スポンティーニ」があった!これは食べずにおられないということで夕食がわりに食べてみたが……うーん、予想はしていたがなんか違う。あの下サクサク上フワフワ感がいまひとつ足りない。味はまずまずだが、あの感動を生んだ食感は体験できなかった。焼き方をもうちょい改善すべきじゃないかな?

それにしてもマークイズはすごい。全て揃ってるので、ここに閉じ込められても困らないのではないかと思ってしまう。ここを拠点に百道エリアはさらに発展していくのだろうな。衰退に歯止めがかからない九州の他の地方都市を置き去りにして、福岡市だけが発展を続ける。この構造はちょっとまずいんじゃないかな。

「チャリ」

開花前 されどチャリでは 冬の風

3月21日(木)曇りのち晴れ
筋トレメニュー覚書。

ヒンズースクワット 60回×2セット
ダンベルベンチプレス 10回×2セット
リバースプッシュアップ 30回×1セット
アームカール 10回×4セット
コンセントレーションカール 7回×1セット
ワンハンドローイング 左右各10回×2セット
フロントレイズ 10回×1セット
サイドレイズ 10回×1セット
ダンベルアップライトローイング 20回×1セット
プローンローリング 10回×3セット。

スクワットさぼりがち。いかんなぁ。
高い山にチャレンジするために、重いものを背負って坂道を登るトレーニングを始めようか検討中。

「悪魔と天使」

無駄無駄と 悪魔は常に ささやけど
続けなさいと 天使もささやく

3月18日(月)晴れのち曇り
「本棚を見ればその人がわかる」という格言がある。それは言い得てると思う。誰かの家を初めて訪問した時に本棚を見て、あぁなるほどと思ったことは何度もある。
だがこのご時世、様々なメディアからの情報の渦に囲まれて本自体読む人が少ない。本棚がないならこの格言は意味がない。

そこでワシは思った。「Youtubeに登録してるチャンネルを見ればその人がわかる」というのはどうだろう?様々なジャンルのチャンネルがあるから、ある程度その人がわかるのではないだろうか?
少なくとも興味があるものはわかると思うし、政治や社会問題、宗教などに関するチャンネルを登録しているなら共鳴していることがわかるだろう。
登録数や、頻繁に入替るかどうかでもある程度わかると思うし、どういうものにGoodを押すのか、どういうコメントをするのか、同じものを何度も観るのか、などなど判断材料はいろいろあると思う。

ま、しかし他人に自分の登録したチャンネルを見せる人はあまりいないだろうな。

「本棚」

本棚と ともに消えゆく 本の価値
昭和生まれの 心寂しき

3月15日(金)曇りのち雨
ついに今週末は2019年のF1が開幕する。そのことを日本人のどれくらいが知ってるだろうか?おそらくほとんどの人が興味ないだろう。
あのマクラーレン・ホンダ全盛期にフジテレビが中継してた頃は、深夜だろうと多くの人が見てたものだ。それが今では開幕することすら話題にならない。この変わりよう。

なぜこうなったかには様々な理由があるだろうが、まずドライバーありきではなくマシンありきになったことと、訳の分からないレギュレーションがあげられると思う。

いいマシンに乗れたら表彰台に上がることができるというのが現状なので、そうなるとドライバーの技量は何なの?という話になる。あまりに開発競争が激しすぎてマシンが勝手に競争しているという感が否めない。そのうち無人でレースするのではないだろうか?

レギュレーションの変化にもついていけない。単純に考えればスポーツのルールが毎年変更されていくと見るほうは混乱して興味を失うのは当然の流れだ。安全性に関する変更は必要だが、それ以外は一度決めたレギュレーションはせめて5年くらいは続けるべきではないだろうか?

その他もろもろの理由が蓄積して、今では本場ヨーロッパですら視聴率がとれないという悲しい現状。FIAは本当に危機感を抱いているのだろうか?

「F1」

翌朝に レース結果で 盛り上がる
今では話す 相手もおらず

3月8日(金)晴れ
最近、本を買う時にためらってしまう。「これは読んだのではないか?」と一瞬心によぎったら、もう疑心暗鬼になってなかなか決心がつかない。 というのは同じ本を2度買ったことがあるからだ。それも何度も。三島由紀夫の短編集で3回買ったものもある。少し読み進んでから気付くこともある。

今日はブックオフで久しぶりに遠藤周作の作品を買ったが、帰る途中で「これ家にあるのではないか?」とまた疑心暗鬼の始まり。帰宅して本棚を調べると持ってなくてホッとした。

こういうことになるのは記憶力の弱さ以外にも理由がある。ワシは買う前にその作品についてじっくり調べて、買う価値があるかどうかを判断するから、その時点でもう読んだ気分になるのだ。
調べた結果、まぁ特に買う必要はないかと判断した作品に
本屋で出会った時にこの疑心暗鬼になるというわけだ。

人生50年も生きてると蔵書も膨大になる。一度きちんと目録作ってスマホですぐに見られるようにしないと、この疑心暗鬼はこれからも繰り返すだろうと思う 。

「疑心暗鬼」

読んだかな いや読んでない 読んだかも
買って後悔 買わずに後悔