「 妖刀 」

 その刀は長さ68センチ、反り1.8センチ、刀身の重量が780グラムで、目釘穴は二つ。無銘。刃文からは見るものの魂を奪う妖しい光を放っていた。
 高原は目の前に置かれたその刀を静かに手にとった。まるで吸い付けられるような美しさだった。その様子を横で見ていた榊原は高原が刀を鞘におさめるのを待って、話しかけた。
「どうです?大したもんでしょう?」
「恐ろしいくらいに美しいですね・・・」
「私もここまでのものは初めてです」
 榊原は九州でも指折りの日本刀収集家だった。彼のもとには一振り数百万からの名刀が集まっている。いずれは自分所有のものだけで展示会をしたいと考えているほどそのコレクションは豪華なものだった。
 高原は福岡で表装屋を営んでいた。榊原とは骨董の展示会で知り合った。まだ30代になったばかりの高原と、50の坂を下っている榊原とのつながりは、日本刀への愛着がとりもったものだった。
「どうしてこのような名刀をお売りになるので?」
 高原はお茶を入れている榊原に尋ねた。
「うん・・・そう思われますよね・・・私もこれだけの名刀に再び会えるかどうかははなはだ疑問ですね。だがしかし手放さないといけないような気がするのです」
「・・・と言いますと?」
 榊原はお茶を高原の前に置いた。高原は一礼してそれを手にとった。
「こう言っては次にこの刀を所有することになる方に悪いのですが、どうも気分がすぐれなくて・・・」
「この刀を持っていると、という意味ですか?」
「そうです。どうもこう・・・暗い気持ちになりがちで・・・一度医者に相談したこともあるくらいです。」
「なんと言われました?」
「軽い欝だそうで、心配はないと言われました。きっと気のせいだとは思うのですが、どうもこの刀を買って以来、そうなったような気がして・・・。」
「それでお売りになるわけですね?」
「そうです」
 高原は茶を持ったまま、静かに話す榊原を眺めていた。8畳の和室の中で、ちょこんと正座している榊原の姿には確かにどこか暗い影があった。
「そういった次第でして、高原さんのお知り合いにどなたか日本刀がお好きな方はと思いまして。せっかくの名刀ですから骨董屋に買いたたかれるのもしゃくですし、本当に日本刀が好きな方に安くお譲りしたいなと思いまして。」
「なるほど」
「でももし、その方に私と同じような症状が出たとしたら私としてもちょっと心苦しいというのもありまして、なかなか決心が鈍るところでもあります」
 高原には、横にある刀が鞘の中で二人の会話を聞いているような気がして不気味だった。
「わかりました。榊原さんの頼みならば断れません」
「助かります・・・」
「この刀を持っていて気分が悪くなるのは榊原さんだけですか?」
 高原は横目で刀をちらっと見た。
「榊原さんの前に持っていた方はどうだったのでしょう?」
「私も同じことを考えまして、紹介してくれた骨董屋に聞いてみました。なんでも湯布院にお住まいの大木さんという方が所有されていたそうです。売った理由までは骨董屋は知りませんでした。私は出不精ですから湯布院にまで言って根掘り葉掘り聞くのも面倒なのでそのままにしています」
「湯布院の方ですか。住所詳しくわかりますか?」
「行ってみられるのですか?」
「行って話を聞いて、もし何もなければ榊原さんの杞憂を晴らすことになるでしょう?」
 榊原は薄いしわを寄せて優しく微笑んで、
「ありがとうございます・・・」
 と言った。

 年が明けたら久しぶりに温泉にでもつかってのんびりしてみるかとここ数日高原は考えていたので、榊原の話を聞いてその行く先を湯布院にした。夫婦で温泉の旅というのもしばらくぶりということで、高速道路を走らせる車の中で彼の妻は喜びが隠しきれないという感じだったが、高原の心中には少し不安なものがあった。もし大木という人もあの刀を手放した理由が同じなら、早急にあの刀を売りさばいてあげないといけない。持っているだけで気分が悪くなるなんて考えただけでも気持ち悪い。そんなものはなりふり構わぬどこぞのコレクターに売ってしまえばいい。
 だがしかし、たかが刀だ。持っているだけで気分が悪くなるだろうか?全くの榊原の杞憂だとすれば、あの名刀ももったいないような気もする。窓の外の景色のように、彼の心中ではいろんな考えが通り過ぎていった。
 車は高速道路のインターを出て、湯布院の街へ降りて行った。先に荷物を宿に預け、妻もそこに置いて、彼は一人で湯布院の街中へ出た。目指す家は宿から歩いて一〇分ほどのところにあった。日本刀が趣味というだけあって、家の造りは古風で趣のあるもので、後方にそびえる由布岳と融合するかのような、自然な美しさを持っていた。
 前もって約束していたので、玄関で名乗るとすぐに座敷へ通された。雪見障子から小さな庭に生える梅の木が見えた。床の間にはまだ鏡餅が供えてあった。
「お待たせしました。どうも初めまして」
 大柄な体格のその人物は温和な笑顔で座敷に入って来た。
「初めまして。福岡の高原と申します」
 高原は名刺を出した。一通りお互いの自己紹介と、湯布院の自然を話題にした後で、高原は本題に入った。
「それでは単刀直入にお伺いしますが、なぜあの刀を売られたのですか?」
「いや、本当は売るつもりはなかったのですよ。あれを手に入れた時は本当に嬉しかったですからね。誰にも売るものかと思っておりました。あなたも見られたならご存知でしょう?あの光はそうとうなものですよ。きっと何か歴史を背負っているのではないでしょうかね。私は朝と夕方と一日二回眺めていましたよ。いやあ、飽きませんね。本当に素晴らしかった。だからあの話を小耳に挟んだ時は非常に複雑な心境でした」
「話とは?」
 高原は不安なものを感じた。
「話というのは、私の前の所有者のことです。筒見さんという方で、どこに住んであったかは知りません。あの刀は私の知合いの収集家の方からの紹介で買いましたので、筒見さんという方の素性を私はよく知りません。それでこの話は買った後に聞いたのですが、どうもその方は自殺なさったそうです」
「・・・自殺?」
 高原は待ち受けていたものが来たようで、体が緊張するのがわかった。
「先に聞いていれば刀は買わなかったのですがね。その方が自殺されたので、集めてあった骨董などとともに売りに出されたのがあの刀だそうです。それを聞くとなんだか気味が悪くて・・・。それで売ってしまうことにしたのです」
「どうして自殺されたかは聞かれなかったのですか?」
「そこまでは聞いていません」
「その刀が原因だったということはないのですか?」
「いえ、何も聞いていません。ただ、その人は経済的にも家庭的にも恵まれていて、自殺の原因に思い当たるものはないということだけは聞きました」
 高原はその話を聞いて、湯布院に来る前よりも不安が強くなるのを感じた。

 湯布院から戻って来た高原はすぐに榊原を尋ねた。刀を見せてもらった同じ部屋で会ったが、刀は片付けてあった。
「自殺ですか・・・やっぱり気味悪いですね。高原さん、もういいですよ、どんなに安くでもいいです。とにかく早く売ってしまいたいです。もう骨董屋に買いたたかれてもかまいません」
「そうですか。まあそのほうがいいでしょうね。どちらの骨董屋に持って行かれます?」
「黙って売るのも気がとがめるので、事情を全部話してそれでも買ってくれるとこを見つけないといけないですから、時間はかかるでしょうね」
「私の行きつけの店にも聞いてみます。榊原さんの体調が刀のせいでないにしろ、売ったことで少しでも気が晴れるのでしたらそうするより他にありませんね」
「今回は高原さんにいろいろとお手間とらせて、本当に申し訳ないと思っています」
「いえ、私もこの刀の行く末がちょっと気になりますので、勝手に動いているだけです。気になさらないで下さい」
 高原は恐縮している榊原の姿を見て、自分が湯布院に行く前よりも元気をなくしていることに気付いた。わずか数日のことなのに確実に榊原からは精気が失われていってるように感じた。高原は急がなければいけないと思った。

 高原はすぐになじみの骨董屋や日本刀の店を数軒まわったが、事情を話すとやはりどこも買うことに二の足を踏んだ。説明する側にも後ろめたさがあるからか、言葉に力が入らず、店を納得させることができなかった。
 考えうる店を全てまわり終わったが、どこからもいい返事が貰えず高原は途方に暮れてしまった。榊原に会わせる顔がないと、数日足が遠のいた。何かいい考えはないかとあせるが、特に何も浮かぶでもなし、仕事にも身が入らない始末だった。

 打つ手ないまま、ことの次第を相談しようと高原が向かったのは、小説家の真行寺の家だった。九州の文壇を代表する真行寺は歴史小説を得意とし、一部読者には絶大な支持を得ていた。骨董の趣味があったので表装を高原に依頼した縁から二人の間に行き来は続いていた。
 真行寺は日本刀も三振りほど持っていたが、常日頃から名刀を探しているというほどではなく、部屋の飾りとして購入したにすぎなかった。だが日本刀を全く知らない人よりもいくらか話は通じるだろうと高原は真行寺の家の門をくぐった。
「退屈しているところにいい話し相手が来た。高原君、どうだね?商売の方はうまくいっとるのかね?」
 洋室のソファでタバコをくゆらせながら、真行寺は尋ねた。
「いやぁ、今時表装屋というものがはやるわけありませんよ。まぁなんとか食べてはいますけどね」
「最近の景気なら食べていけるなら良しとしなくてはね。それにしても九州の経済の停滞を見るのはもう飽きたね」
「先生の方はどうですか?いいのが書けています?前回の八幡太郎義家をテーマにした作品はすごくよかったですよ。次はどんなのを書いてらっしゃるのですか?」
 真行寺はたばこを灰皿に置くと、ソファの背に深くもたれて大きなため息をついた。
「いやそれがさ、ちょっと行き詰っててね・・・」
 真行寺が天井に向けた目は何を見るでもなくまるで精気がなかった。無表情の顔の中でただ口だけが動いていた。
「今回はどうしても関ケ原を書きたくてね」
「いいじゃないですか。書いて下さい。司馬遼太郎も池波正太郎もいいけど、先生の書く関ケ原はまた違った面白みがあると思いますよ」
 真行寺の作品を全て読んだ高原は、その特徴を余すところなくつかんでいた。時代考証を徹底して行い、よりリアルに描こうとする真行寺の筆は多くの読者にとって非常な魅力だった。
「だがね、高原君。あの関が原を私流に描くとなると、どうしても今ひとつつかめないものがあるんだよ。一体刀というものは合戦の時には何人くらい人が斬れるものだろうか?どんな手ごたえなんだろうか?どんなふうに血が飛ぶのだろうか?私はね、今まで何度も合戦のシーンを書いてきたけど、この関ケ原だけはもっともっとリアルに書きたいんだよ。だがそのためのインスピレーションが今ひとつ得られないんだ」
 真行寺は視線をまっすぐ高原に合わせた。
「高原君、芥川竜之介の『地獄変』は知ってるだろう?天才絵師の良秀が焦熱地獄絵を描くために娘が乗った牛車に火をつける話。現実ならまるできちがい沙汰だが、僕はね、あの良秀の気持ちがよくわかるんだよ。実物を見ずにリアルに描くということは本当に難しいことだよ」
 いつしか真行寺の言葉は熱くなっていった。高原は少し気圧されて言葉を挟むのがためらわれた。真行寺はそんな高原を見て我にかえった。
「あ、すまんね。僕ばかり話してしまって。ところで君の用事はなんだったの?」
「用事というほどでもないのですが、ちょっとご意見を伺いたいことがありまして」
 高原は刀の一件を真行寺に話した。話していくうちに真行寺がどんどん興味を持ち始めているのが高原にはわかった。
「そんなに不気味な刀なのかい?」
「そうですね。なんとも言えない妖しい光を持ってまして、素人の私にも相当なものというのがわかりました」
「一度拝見したいもんだね。そんなに妖しい光を持っているならきっと何か曰くがあるんだよ。きっと遠い昔に誰かを斬ってるよ。たくさん血を吸ってるんで、持っている人が気分悪くなるんじゃないかな?」
「私もそう思います。きっとそういう歴史を背負っていると思います」
「こう言うのもなんだか無責任で申し訳ないが、非常にぞくぞくするね」
「ご覧になりますか?なんなら私が借りてきてお持ちしましょうか?」
「いやそれは嬉しいね!是非拝見させてもらうよ」

 高原が一週間ぶりに榊原の家を訪ねてみると、主は風邪をこじらせて寝込んでいた。だが高原の来訪を待ちうけていた彼は無理に起きてきて対面した。
「見つかりそうですか?」
 面やつれした表情の中に期待が浮かんでいた。
「それが・・・やはり事情を打ち明けるとなかなか・・・」
 榊原はあきらかに気落ちした表情に代わって「・・・そうでしょうね」とつぶやいた。
「それで今日お邪魔したのは、あの刀をちょっとお借りできないかと思いまして」
「どうされるのですか?」
「私の知り合いに歴史小説を書く先生が・・真行寺先生ですけどご存知ないですか?あの方がどうしてもその刀を見たいと言われるので」
「あぁ構いませんよ。それで気に入って買ってくれるといいんですけどね」
「先生の場合は興味本位でしょうけど、私も若干の期待はしてます」
 榊原は奥に引っ込み、しばらくして大きな桐の箱を抱えて戻って来た。
「ちょっと重いですけど大丈夫ですか?」
「車で来てますから大丈夫です。何日くらいお借りしてよろしいですか?」
「何日でも。ずっと返って来なくてもいいですよ。ははははは」

 そのまま高原は車で真行寺の家へ向かいながら考えた。返ってこなくてもいいとまで言っていたからには、売れない場合は捨てるつもりだな。捨てるにはあまりに惜しい名刀。そうなったら自分が引き取ろうか。いやちょっと気味が悪いしやはり縁起でもないからやめておくか。いやでもただならもったいない・・・もしかすると真行寺さんが気に入って買うかもしれない。そうなると解決するが、真行寺さんのほうに何かあるかもしれない。やはりこの刀は捨てるほうがいいのではないだろうか・・・。
 複雑な思いを抱えたまま高原の車は真行寺の家の前に着いた。桐の箱を大事に抱え門をくぐると、一番奥の十二畳敷きの広い座敷に通された。やはり日本刀を鑑賞するには和室に限るということか。部屋の中央あたりにそっと桐の箱を置いて主が出てくるのを待った。和室の空気は冷たかった。家政婦が入ってきてエアコンのスイッチを入れてからすぐに出て行った。入れ替わりに真行寺がのっそり入って来た。
「おお、来ましたね。これがあの刀ですか」
「持ち主の方が、飽きるまで何日でも眺めて下さいと言われてましたから、どうぞごゆっくりお楽しみ下さい」
「どれどれ、精気を奪う刀とやらを拝見させて頂きましょう」
 真行寺は箱の蓋をとると、刀を静かに取り出し、作法に習って鞘から刀身を抜いた。鞘を傍らに置き、刀身を目の前に立ててらんらんと光る眼でその輝きを追った。
「これは・・・・・・」
 刀を鑑賞する際には言葉を発することは厳禁であることは真行寺も充分承知していたが、あまりの美しさに思わず声が出てしまうのをどうすることもできなかった。
「すごい・・・・・・高原君、すごいよ・・・妖しい光を放つこれこそまさに妖刀だ・・・斬ってるよ・・・これは絶対に人を斬ってる・・・それも何人もね・・・僕にはわかるよ・・・たくさんの血を吸ったんだね・・・」
 高原は借りてきた刀の前で作法も顧みず言葉を発する真行寺を見て慌てた。普段はそんなことをする人ではないのに、今日はどうしたのだろう?刀の前で言葉を発すると唾が飛んで刀に錆びを生むかもしれないので、高原はなんとか真行寺の口をふさぎたかった。
「先生、まずは刀をふきましょう・・・」
「いや期待した以上だ。これは名刀なんてもんじゃないよ。実に素晴らしい!」
 高原の言葉は真行寺の耳にまるで入らなかった。
「先生、どうぞこちらにお渡し下さい。刀をふきますので・・・」
 真行寺の目はまるで刀から妖気が移ったように妖しく光っていた。柄を強く握った手は高原の言葉に従う様子はなかった。たまりかねた高原が「先生、お渡し下さい・・・」と前に詰め寄ろうとしたその瞬間、真行寺は刀を持ったまま急に立ち上がって高らかに笑い始めた。
「ははははは!高原君!書けるぞ!書けるぞ!これで書ける!関ケ原でも桶狭間でも姉川でも山崎でも、何でも書けるぞ!何でも書けるぞ!」
 そう叫ぶと刀を上段に構え、あっけにとられて見上げている高原目がけで渾身の力で振り下ろした。高原が人間の声とも思えぬ音を口から発すると、夥しい鮮血がしぶきとなって畳一面を深紅に染めた。高原の頭脳は事態を理解する猶予も与えられず、体が畳の上にくずれた後は既にその機能を終わろうとしていた。
 真行寺は血に染まる刀をまだ強く握ったまま高原の死に行く体を見下ろしていた。
「ははははは!これで書ける!これで書ける!これで書ける!」


☆★
トップページへ戻る ☆★