2004年3月21日

聖書の個所:列王紀上10:1〜13

知恵を与える神の御言葉
知恵がありますか。それは知的能力の問題ではありません。知恵のある人は、神様との関係を大切にし、御旨に従い、自分の考えと行動をすべて、神様に委ねる者です。そうすれば、神の言葉はわたしたちに親しくなります。また、御言葉に親しくなって、わたしたちは知恵をいただき、神様のすばらしさを喜ぶことができるのです。

2004年3月21日 和白バプテスト教会にて(説教者:ロージー・マンケ)

先に読んでいただいた話は『アラビアンナイト』の一話のような香りを放っています。場所は同じ中近東ですが、主人公はソロモン王とシバの女王です。この話を読んで、オリエントの世界がどれほど宝物で満ちあふれる豊かなものだったかを、私達は目の前に見ることができます。わたしたちも時々このような宝物の夢を見ます。たとえば、街の宝石店の前に立ち止まったり、高級デパートの高価な陶器や食器を手に取ったりするとき。残念なことに、値札が目に入ると、わたしたちは残酷にも再び現実に戻されるので
す。しかし今日は、共に古代の美しい豪華な世界に入ってみたいと思います。イスラエル王室の魅惑的な雰囲気を、共に楽しんでみましょう。

豊かな香りに包まれた宮殿の部屋を廻りながら、貴重な洋服を着込んだ僕たちが忙しげに走り回るのを拝見しましょう。
しかし、高価な机の前に座って、真剣に仕事をしている大臣たちを見ると、私達は一目でわかります:ここにあるすべてのものは、目的がなくて集まったわけではないのです。宮殿の華やかさは具体的な政治のために利用されていて、人生の重要な問題を解決するために使われています。ですから、わたしたちはただただ魅了されて、細かいことに目を奪われて大局を見失うことがないようにしましょう。共に考えてみましょう。シバの女王は神の素晴らしさを喜び、神の知恵が分かるようになりましたが、彼女はなぜ、それができたのでしょうか。

知恵のある人になりたい、人生の重要な問題を解決することができるようになりたい、このような望みがわたしたち皆の心の奥に深く潜んでいると思います。皆さんはいかがでしょうか。知恵とは、何でしょうか。聖書は、知恵について何を教えてくれるのでしょうか。もうすでに旧約聖書の出エジプト記では、知恵はどれほど大切かについて書いてあります。神はイスラエルをエジプトの奴隷生活から解放してくださったあと、皆は砂漠の中で暮らす時でした。聖なる場所として幕屋をつくるために、神は知恵のある人たちを探しました。その時、神は人生の複雑な問題を解決することができるような人々を探したのでしょうか。いや、勿論そうではなかったのです。神は単なる大工さんたちを探しました。芸術的な才能があって、上手な大工仕事ができる人びとを探したのです。大工仕事をすることによって、彼らは神を讃美しましたよ!知恵のある人とは、古代イスラエルではこれを意味しました:何かの仕事を最適な方法で、見事な結果を生み出すことができる熟練した人のこと。それは知恵のある人でした。

このような知恵を与えてくださる方は、神様です。神は言われます。「(わたしは彼を)知恵と悟りと知識と諸種の工作に長ぜしめ(た)[口語訳]」「わたしは彼にどのような工芸にも知恵と英知と知識をもたせた[新共同訳]」(出エジプト記31:3)知恵のある人は自分の様々な能力をつかうことによって、神を讃美しました。知恵のある人は、原因と結果との間のつながりを理解することができる人です。自分の生活の中でも、人と共に生きる中でも。知恵のある人は、その因果関係の理解に従って生活します。世界と命は神によって造られたことを、知っているからです。自分のしあわせと皆のしあわせのために、知恵のある人は、神の法則に従います。ソロモン王はどんな知恵を持っていたのでしょうか。当時のイスラエルは他の偉大な文明の民族と並んで、書物をもって世界や命についての認識を表現し、収集することに争っていました。旧約聖書の文学は当時の文学の流との競走から生まれました。

例えばダビデ王は聖書の文学を作った一人です。ダビデ王は詩篇の作曲者として評価の高い詩人です。ダビデ王の世界認識、命についての認識は神の讃美に導きました。嘆きの詩篇の中でも彼はあらゆる人間的理解を超える偉大なる神の素晴らしさをたたえたのです。一方、ソロモン王は聖書の知恵文学の「父」と呼ばれています。彼についてこう言われています:「かれは(・・・)最も知恵ある者であり、(・・・)彼の語った格言は三千、歌は千五首に達した。」(列王記上5:11〜12、新共同訳)またソロモン王は旧約聖書の箴言の中で自らこう言いました:「主を畏れることは知恵の初め。無知な者は知恵をも諭しをも侮る(あなどる)。」(箴言1:7)神を知る者として、わたしたちはソロモン王に見倣うことが多いのです。神殿を神にささげるとき、ソロモン王はこう祈りました:「しかし神は、はたして地上に住まわれるでしょうか。見よ、天も、いと高き天もあなたをいれることはできません。」(
列王紀上8:27)

ソロモン王の素晴らしい祈りから、私達は何を見倣うことができるのでしょうか。ソロモン王は王座につくとき、神のみ旨に従う公正な王になれるようにと願い、知恵のある、聞き分ける心を、神に願いました。神はこの祈りを聞き入れてくださったのです。そのために、王として最高裁判官でもあったソロモンの裁きの中で、わたしたちはかれの素晴らしい公正を見ることができます。例えば、二人の女性が一人の赤ちゃんのことで喧嘩したときはその一つのケースです。こうして、ソロモン王の名声は隣の国々に広まりました。神殿の建設や商売の繁栄によって、かれは益々有名になりました。神殿で神を礼拝するために大量の乳香が必要でしたが、乳香は当時、黄金よりも値段が高かったのです。神殿のための乳香は主にシバという国から輸入されました。シバはアラビアの南に位置し、当時非常に富める王国でした。

乳香や黄金の商売のため、シルクロードのような通商路ができていましたが、この商売でにぎわった道を通じて、ソロモン王の知恵についての物語が数多く伝えられました。この物語を聞いて、シバの女王は自らその真実を確かめようと思うようになり、贅沢な贈り物をもって当時としては高貴なラクダでエルサレムへの旅に出しました。シバの女王はソロモン王との出会いから何を期待していたのでしょうか。女王はまず、なぞなぞのクイズのような質問をしますが、この質問は哲学的、実践的、また神学的真実を内容にしていました。このようなクイズは当時、非常にはやっていて、わたしたちの時代にテレビ番組によく出てくるクイズと違いました。ゲーム感覚はなく、真面目に真実をもとめるものでした。ソロモン王は納得のゆく返事をしました。シバの女王の期待は完全に満たされたのです。

シバの女王はエルサレムで華やかな宮殿の生活と神殿の礼拝を体験することができます。分からないことをすべて訊いて、説明してもらいます。女王自身は富める国からの出身でしたが、非常に深い感銘を受けました。シバの女王はこの体験にどう反応したのでしょうか。女王はただ驚いて目をみはることだけにとどまらないで、イスラエルの神を讃美します。彼女はこれがわかりました:ソロモン王の知恵は神から頂いたものです。この神はイスラエルの民族の世話をしてくださいます。神が目ざしてくださるのは、あらゆる不正の終わり、完全な正義の支配です。イスラエルの神の栄光を自分の国にぜひ伝えたいほど、シバの女王はイスラエルの神の素晴らしさ、神の人間への愛から感銘を受けたのです。シバの女王がソロモン王のところまで出かけて神の知恵を求める心を、イエス・キリストご自身はこう誉めています:(マタイ12:42)

神がすべての人間をさばく最後の審判の時、イエス・キリストにおける神の知恵を信じなかった人びとに対して、シバの女王は証人として立つのです。イエス・キリストはソロモン王よりすぐれており、「知恵と知識の宝はすべて、キリストの内に隠されています。」(コロサイ2:3)ソロモン王の知恵は女王との出会いから後に、どうなったのでしょうか?ソロモン王は年をとるうちに、神との関係をおろそかにして、他の神々を拝むようになりました。かれの結婚政策は神に対して向かってしまったのです。聖書の中で66の書物があつまっていますが、ソロモン王はその中から3つを執筆しました。知恵や助言、警戒などに満ちあふれている書物です。苦しみと悲しみは罪の結果だ、というメッセージがその中で伝わっています。しかし、後悔することや悔い改めることはどこにも出てこないのです。結局、神は王座を彼から取り上げようとします。しかし、ソロモン王が最後まで神のみ旨に従ったのなら、なんという素晴らしい人生になったでしょう!

知恵のある生活をおくることを、わたしたちはどのようにして学んだらいいのでしょうか。旧約聖書の指導者モーセはこう祈ります。「われらにおのが日を数えることを教えて、知恵の心を得させてください。」(詩篇90:12)わたしたちの人生に、いつか終わりが来ることをよく考えると、わたしたちは神の知恵に自分の心を開いて、神に信頼することができます。苦しいときがあっても。イエスの兄弟ヤコブは、新約聖書の手紙の中で、知恵を具体的にえがきます。「上からの知恵は、第一に清く、次に平和、寛容、温順であり、あわれみと良い実とに満ち、かたより見ず、偽りが無い。」(ヤコブの手紙3:17)神の栄光をあらわす人生を、神様からのプレゼントとしてもらいましょう!わたしたちの友人や隣人、仕事の同僚に神の豊かさを見せましょう!わたしたちの生活のすべてが、神のすばらしさの讃美になることを、神が望んでくださいます。