この日記は全てノンフィクションであり、登場する人物・団体名などは全て実在のものです。
10月
10月31日(土)晴れ

ウイルホーム」さんで社員さんに聞いた話。社長が深夜に車を運転してたら中学生がたむろして煙草を吸ってる現場に出くわしたそうな。そこで社長はわざわざ車を止めて中学生を叱ったそうな。ワシは社長のこういう真っ直ぐなところが好きなんだな。正しくないことを見過ごせない性格ってのは尊敬する。
人の子どもを叱る大人ってのは昔はよくいたもんだ。実際ワシもよく知らんおっさんから叱られたな。そういうのはある意味子どもへの愛だよな。今思えば懐かしい。気付けば誰しも他人の子どもなどどうでもいいと考える時代になってしまった。誰がそうしたのか?きっとワシらの世代だよな。昭和40年代生まれぐらいから日本人がダメになってしまったような気がするんだな、個人的見解として。ワシらはもうちょっとしっかりせんといかんよな。このままじゃ日本はどんどんダメになる。
 
今日は帰りが早かったので長谷ダムでまた10km計測してみた。今日は54分59秒。この微妙さ!ギリギリ1秒だけ55分を切った。かなり飛ばしたんだがそれでもこんなもんか。心臓破裂するかと思った。
 
夜は姫とコラボでつまみを作って酒を飲んだ。こんなこと書くとまたゲリラ的に我が家にやってくる人が出てきそうやな。今日はワシは一品のみ。納豆入り卵焼き。めっちゃ簡単。まぁまぁ出来だった。ふわふわのおいしい卵焼きを作るには卵が3つ必要だが、実際卵3個なんてきついよな。
 
「卵焼き」
 
テフロンは 邪道なりし 卵焼き
 

10月30日(金)晴れのち曇り
Windows7か。今度はちゃんと作ったんだろうな?と言いたくなる。毎回なにか目新しい機能を自慢にしてるけど、必ずどこかに無理があって動作を遅くしたりシステムを不安定にする。ワシに言わせれば機能はXPレベルで十分だからそれよりも動きを速くすることと安定させることに力を注いで欲しい。「今回のOSは何も新しい機能はありませんが、スピードが従来の2倍になりました。安定性も飛躍的に向上しています」なんてうたい文句の新製品を出してもらえば値段が1.5倍くらいに高くなっても買うけどな。ユーザーの悩みを解消するほうが先なんじゃないのかい?いい加減にちゃんとやろうぜ。
 
明日は早めに帰るからちょいと走りに行こうかな。次の目標になる大会をなにか決めないといかんな。
 
「相撲部屋」
 
相撲部屋 博多に冬を 運ぶかな
 
10月28日(水)晴れ
41回目の誕生日。早いもんだ。馬上少年過ぐか。なんだかもたもたしている間に年をとっているような気がする。このままじゃいかんよな。
 
「馬上少年過」
 
伊達政宗

馬上少年過  馬上少年過ぐ
世平白髪多  世平らかにして白髪多し
残躯天所許  残躯天の許すところ
不楽復如何  楽しまずして如何せん
 
 
夜は姫のおごりで高砂にある和食のお店へ行ったが、非常にハイクオリティで感動した。大将の手さばきを見ながらカウンターで秀逸な一品一品を味わった。なんとも至福な時間だった。一体この水準まで到達するのにどれほどの修行をされたことだろうか?としみじみ思った。帰り際には大将みずからお見送り。丁重に感謝の意を表しつつ店を後にした。素晴らしい店だった。さすが姫セレクト。いい誕生日の夜になった。
 
41歳の1年間でおそらく生活環境が大きく変化するだろうと思う。新しい生活がどんなものになるか楽しみだ。
 
「齢」
 
またひとつ 齢(よわい)重ねて おもへらく
いまだ故郷に 錦飾れず
 
10月26日(月)曇り
昨日、ブックオフで「滄海よ眠れ」を見つけた。ただし1巻だけ。まぁ気長に集めるかな。
読みたい本も多いが、書くほうも頑張らないと。あと2ヶ月で準備して、年明けから1年間、連載ものを書いてみようと思う。あぁここに書いたから本当に書かないといけなくなったな。あたって砕けろだ。
 
今日は4社。最後は「松島商店」さんで打ち合わせ。早速ワインが売れたということで幸先のいいスタートだ。ワシとしては1万円で4本のセットが興味ある。ワシのような初心者はこのへんから飲むのがいいかも。

 
ワインもそうだがいろんなものがおいしい季節になったな。どうも食べ過ぎていかん。油断するとすぐ太る。土曜あたりちょっと長めに走って体重落とすかな。でもその夜に反動で食べすぎたりするんだよな。すぐに体重増加につながるてのはやっぱおっさん体質になってしまったんだろうな。気合いをいれねば。ジェフ・ベックのように体型維持できればいいやね。
 
「無意味」
 
我を待つ ビールおもひて 汗ながす
 
10月25日(日)晴れのち曇り
早いもので志賀島マラソンからもう一週間。あれから全然走ってないから今日は午後から一人で長谷ダムへ。10kmを測ってみたら、56分36秒だった!また一歩前進したなという感じ。だがやはり55分の壁は厚いな。これでも結構飛ばしたつもりなんだがな。50分切る人ってつくづくすごいと思う。
 
今夜は姫が「ベジキッチン」で遅くなるから久しぶりにえしぇ蔵クッキングをしてやろうと明太子パスタとポテトサラダを作っていたら姫から電話。「ゴトー先生を連れて帰るけん」マジかいや!ひぇー!こんな料理を天下のゴトー先生に食べさせられるかい!と思ったがもうどうにも逃げようがない。そこを見越してギリギリに電話してきたらしい。電話の口調にしてやったり!という邪悪な響きがあった。くそー。
二人が到着してから先生のお土産と、光栄にもちょっとした料理まで作って頂いて思いがけないパーティー状態になった。先生がワシのパスタとサラダを食べる瞬間はさすがに緊張・・・西日本新聞に料理に関する記事の連載をお持ちで、業界の内外を問わず福岡でその名を轟かせたゴトー先生がワシの料理を食べるなんて・・・。タイミングに助けられ先生はちょうど空腹だったようで「おいしい」とあっという間に完食して下さった!なんという感動・・・末代までの誉れじゃ・・・。
先生が我が家のキッチンに立って一品作って頂くという光栄にも預り、しかもそのおいしさにまた感動・・・やっぱちがうなぁ・・・。
キッチンから新しいつまみがちょっとづつ追加されながら3人でワインを飲みつつ遅くまでだらだら。酔っ払った先生はそのままソファでおやすみなさい・・・。
 
「誉」
 
その道を きわめし人に 畏くも
つたなきものを 供す誉や
 
10月23日(金)晴れ
今日は3社。仕事を終えてからキャナルシティ近辺で姫を拾って、夜は「御供所・冷泉ライトアップウォーク」に参加した。こんなイベントがあったなんて初めて知った。地元の名所旧跡というのは以外とじっくり訪問しないもので、由緒ある寺や神社にも「いつでも行ける」と思いつつなかなか足を運ばない。今回のイベントでは普段、入れない所にも入れるということで興味津々で参加した。
まずは「櫛田神社」からスタート。2番目の「東長寺」まではにわか煎餅を買って食べたり、無料のぜんざいを食べたりしつつ移動。3番目は「妙楽寺」で最後が「承天寺」。どこも美しくライトアップされてあり、幻想的な眺めだった。省エネのために控えめのライトアップになっていたがそれが逆に趣きがあってよかった。圧巻は「承天寺」の枯山水のブルーのライトアップ。本当に波がうねっているような立体感は強さを秘めた美を見事に表現してあり、しばし心と視線を奪われた。
「承天寺」ではうどんやそばを買って食べれるようになっており、ワシはうどん、姫はそばを食べた。
こんな素晴らしいイベントは今後も毎年続けて欲しいと思う。実に楽しい夜の散策だった。
 
「洗濤庭」
 
白砂の 波青くして 洗濤庭
しぶき散らせる さまも見えたり
 


10月21日(水)晴れ
昨日、コイン洗車に行ってリカちゃんを洗車機で洗ってたらものすごい音がしたので何かと思えばテレビ用のアンテナをもぎとられていた。へー!こんなこともあるんだ。あんまりコイン洗車を信じちゃいかんなと思った。
 
今日は5社。忙しいのはいいことだ。感謝感謝。帰ってからもデスクワークどっさり。ありがたいが、水滸伝を読む時間をもうちょっと欲しい。
 
最近、自分なりに秘かに「ミッドウェー海戦」について検証しなおしている(時間がないとか言いながら)。真相を知りたいのだがどうも淵田美津雄の証言も全て信用できないようなフシもあるし、何を見ればいいのかと暗中模索の状態。ここはやはり澤地久枝の「滄海(うみ)よ眠れ」を読むべきなんだが悲しいかな絶版なんだな。中古であちこち探してはいるが、全巻そろってというのがまだ見つからない。この作品は日米双方の当事者とその家族に徹底取材し戦後も隠し通されていた真実を暴露した名著で、菊池寛賞を受賞している。こういう作品を絶版にしちゃいかんよなぁ。非常に貴重な歴史の記録なのに。残されるべきものが残ってないよなぁこの国は。
 
「ミッドウェー」
 
真実は 遥か波濤の 下にあり
 
10月19日(月)晴れのち曇り
「水滸伝」をむさぼり読む日々。岩波の「水滸伝」や「西遊記」は講談の形を残したまま訳してある。今日、「中国鍼灸院」の呉先生に聞いた話だが、こういう講談というものが中国では呉先生の子どもの頃まで残っていたらしい。今でいうカフェみたいなところに人を集めて、お茶一杯で一話分聞かせる。続きが聞きたい人は二杯目を頼まないといけない。娯楽が少ない時代には多くの人の興味をそそったことだろう。呉先生によれば文化大革命の時に毛沢東によってこういった講談は禁止されたらしい。古今、文化に枷をした政治にろくなものはない。人の世は衣食住足りれば生きられるというものではない。
 
それにしても「水滸伝」は面白い。まったくもって荒唐無稽だが、それがまた面白い。今までにいろんな作家がこれをデフォルメして好き勝手に小説化してきたが、元より正解などないわけだから誰がどういうふうに書こうが構わないわけだ。そのへんが中国の古典文学の興味深い点だ。
 
「講談師」
 
一服の 夢語るかな 講談師
 
10月18日(日)晴れ
今日は「志賀島マラソン大会」。あぁなぜにかくも慌しきや我が人生・・・天は我に暇を与えず。
 
今朝は5時半起き。志賀島へ行くバスの本数が少ないので遅れては大変と早めのバスに乗ろうと二人でバス停までてくてく・・・。すると車で通りがかったおじさんが、「あんたたちもマラソン大会やろ?一緒行きましょう」と乗せて下さった。なんと親切な!おかげで楽した上にタダで志賀島へ。やっぱ日頃の行いかなぁ。うん。
 
チームハコベジの他のメンバーとゴトー先生とマネージャーさんは船で来て会場で合流。
開会式の後、いよいよスタートラインへ。40代以上のマラソン大会だが、どうも見た感じ日に焼けて脂肪もそぎ落とされたツワモノぞろい。走り慣れているのは一目瞭然。こりゃワシはかなり遅いほうだろうと思い、少しでも稼いでおこうと一番前のほうにスタンバイ。
号砲とともに一斉にスタート!みんな怒涛の勢いでワシを追い抜いていく。それもものすごい数に。スタートして最初の500mまでに40代・50代の男性のほとんどに抜かれた。そこでワシは思った。「あぁこりゃワシの出る大会じゃなかったんだな」と。まさにセミプロ級の走りの人ばかり。おったまげた。
それでもなんとか自分のペースを探そうとするが、舞い上がってしまってうまくいかない。ようやく4キロ地点くらいからマラソンらしくなってきた。心中混乱、ペースはつかめず、息はあがる。こりゃゴールできれば上等だという状態でなんとか身体をひきずってゴールを目指した。
地元の人たちの応援に大いに励まされた。実際に力も湧く。優しい言葉一つで冬中暖かいということわざがあるが、まさに応援の声一つでスタミナ充電という感じか。
天気はよかったが風は強かった。前半は向かい風。海は秋陽はじいてまぶしいほど輝いていたがじっくり楽しむ余裕などあるわけない。
ゴールが近づいて来てもラストスパートする力は残ってなかった。ほぼ全体力使い果たしてゴールした時には本当にホッとした。タイムは58分49秒。まさにギリギリで1時間を切った。成績表を見てみるとほとんどの人が50分かかっていない。恐ろしい大会に出てしまったもんだ。
 
ゴールした後はゴトー先生とマネージャーさんの手回しのよさで砂浜で弁当やらサザエのつぼ焼きやら食べながら昼間からビールで祝宴。走った後の海の幸はまたこたえられんな。
 
なにはともあれ今回の経験は、もっと速くなりたいという欲求に火をつけてくれた。来年はもっといいタイムでゴールしてやる!めらめら〜!(また出るのか?)
 
「島の風」
 
つわものが つどいて島の 風となり
我を残して 過ぎ行きにけり
 

10月17日(土)晴れ
今日は3社。南へ、西へ。
 
星香園」さんでの会話。
 
牛島さん:「どこを通ってきました?」
ワシ:「広川から山越えて来ました」
牛島さん:「あの道は地元の人間しか使いませんよ(笑)」
ワシ:「山道走ってる時は仕事のような気がしませんもん(笑)」
牛島さん:「しんぐさんが来た時に入れ替わりで帰ったとがおったでしょ?」
ワシ:「はい」
牛島さん:「あいつがこないだの夜に車でその道を走りよってイノシシとぶつかっとるとです」
ワシ:「えー!」
牛島さん:「それで車がボッコシへこんでですね、イノシシが倒れとったそうです」
ワシ:「マジですか(笑)」
牛島さん:「それであいつは警察に電話しとるとですよ。事故証明出ますか?って」
ワシ:「あはははは!(爆笑)」
牛島さん:「そしたら警察がですね、『そのイノシシの持ち主わかりますか?』って」
ワシ:「あはははは!(爆笑)」
牛島さん:「『わかりません』て答えたら、『じゃぁ出せませんねぇ』げな」
ワシ:「わかるわけないですよね、イノシシの持ち主とか(笑)」
牛島さん:「それであきらめて車に乗ろうとしてふっと見るとイノシシおらんやったそうです」
ワシ:「あはははは!(爆笑)」
牛島さん:「攻撃されるか思うて急いで車乗ったそうです」

下手なコントより面白いな。しかしまぁ警察もなんちゅうか・・・。
 
「イノシシの持ち主」
 
イノシシの 持ち主きいて いかにせん
頼りがいある 国家権力
 
10月16日(金)晴れ
また5時起床。朝食を終えて7時40分出発の強行スケジュール。今日も晴れ!
まずは大覚寺へ。和尚さんのお寺は真言宗大覚寺派。つまりはここが会社で言えば本社だ。和尚さんの息子さんたちがここで修行したそうな。
ここでワシは初めて写経というものを体験した。筆で字を書くのは好きなのでチャレンジしてみたがなかなかにおもしろいもんだ。
お庭や寺宝も見せて貰ったりして午前中いっぱい楽しんだ。
嵐山で昼食し、桂川にかかる渡月橋を眺めると心は遠く平安時代へ・・・。なんか雅な眺めやなぁと一人佇む。
最後の目的地は神護寺。ここは石段が結構きつくて皆さん大変そうだった。なにせ平均年齢が高いので脱落者もいた。(笑)
拝観した後は時間が押していたので急いで京都駅へ。運転手さんのおかげで帰りの新幹線にギリギリセーフ。
 
今回は和尚さんのおかげで貴重な経験をさせて頂いた。そして一生の思い出を頂いた。こうやっていろんな経験をし、いろんな人に会うのは全て意味があるわけで、一つとして無駄はないとワシは信じている。経験と出会いは何にも勝る師だ。今回の機会を与えて下さった和尚さんとお世話になった皆さんに感謝の意を表明して今回の旅の記録は終わりとしよう。
 
(和尚さんありがとうございます。添乗員さん、ガイドさん、運転手さんお世話になりました。同行の皆さんお疲れ様でした。)

「桂川」

佇みて 何かおもはん 桂川
我ここにある 意味を探りて
 

10月15日(木)晴れ
昨夜は同室のお二方は9時前に寝てしまうし、ワシもつられて9時半には寝てしまった。おかげで今朝は5時に起きてもすっきりとした目覚め。
6時からは朝のお勤め。さすがに高野山の朝は早い。冷気は身を引き締め、境内には読経の声が響く。静寂と荘厳。
外国人のカップルも宿泊しており、朝のお勤めにも参加していた。この空間が彼らにどう映るのだろうか。
朝食後、8時には出発。早いやね。高速に乗る前に根来寺の横を通った。戦国時代には鉄砲持った根来衆がこの辺をうろうろしていたんだろうか。
高速に乗ってしばしドライブ。お昼に京都に入った。今日の最初の目的地、智積院で昼食、そして拝観。
この智積院では日本画の田渕画伯の襖絵の特別拝観ができた。墨の濃淡だけで表現した四季には言葉を失った。優れた絵は見る人の想像力が加わって初めて完成する。ワシが眺めて、ワシの頭で完成するのだ。そのためにはせめて30分くらい眺めていたかったがツアーではなかなかそうもいかない。またいつか見たいものだ。
智積院もそうだがお次の仁和寺でも庭の美しさを堪能した。京都のお寺は庭が必見。どこもそれぞれに美しい。仁和寺の案内役の僧侶の方はその軽妙な語り口で楽しませてくれた。
今日の最後のメニューは太秦。昔はよく仕事人が好きで見てたが確かここで撮影していたと思う。秀さんが走ったのはこの辺か?八丁堀が懐手で歩いたのはこの辺か?と考えながら歩いた。
京都の日中の陽射しはきつかったが西に傾くと肌寒い。寒暖差があるから紅葉している木々も見られた。それにしてもいい天気でよかった。夕べは雷雨だったのに今朝は快晴。今回はついてるな。
今日の宿は湯の花温泉の渓山閣。大きな観光ホテルだが和風な雰囲気をうまく演出していた。
ワシは和尚さんと同室。まずは二人で温泉にぼーっと浸かって疲れを癒した。
宴は昨夜とうって変わり大いに盛り上がった。舞妓さんの挨拶のサービスがあった。なんとまぁ美しいこと!ちんとんしゃんときた。いいもんだな。舞台の上は18 歳。舞台の下の平均年齢は・・・う〜ん。
料理が結構よかった。ワシは料理人がいい仕事をしていると思った時にはご飯粒一つ残さない。これは料理人に対する敬意と感謝を自分なりに表現しているわけだが、仲居さんが気付いて「綺麗に食べて貰ってうれしい」と言われた。
この仲居さんがワシはちょっと気に入った。きびきびした動き、酔客の揶揄に対する当意即妙な受け答え、酌をされればコップ一杯くらいはキュッとあけるきっぷのよさ。プロの仕事だなあと思った。
宴もたけなわの時、急に和尚さんがワシをみんなの前に立たせて「私の無二の親友です」と紹介してくれた。身にあまる光栄・・・対等に口をきくのも憚られる身分差なんだが。全くこれ以上の恐縮はない。
それにしても今日も腹いっぱいの一日だった。明日は最終日。
 
「墨の桜」
 
襖絵の 墨の桜は 見るほどに
染まりゆくかな 我がおもふまま
 

 
10月14日(水)晴れ
今日から高野山・京都二泊三日の旅。朝5時起きで支度して空港へ。
雷山千如寺さん主催のツアーに和尚さんのはからいで同行させて頂くことができた。誠に恐縮の極み。
参加者は70代以上の人が多く、ものすごい平均年齢!ワシは40にして最年少。40といえば江戸時代では既に翁の部類に入る。それで最年少だからなんとも気恥ずかしいものがある。
空港での添乗員さんの話では「バスで飛行機までご案内します」とのこと。なぜに?搭乗開始すると本当にバスに乗せられ空港の端へ連れて行かれた。そこに待っていたのはプロペラ機。マジで?対馬に帰るんじゃないんだから。関西空港まで大丈夫かいな?と思ったが幸い天気がよくてほとんど揺れなかった。ANAの経費削減も凄まじいな。
関西空港からすぐにバスで移動開始。大阪はほんの一瞬よぎるだけですぐに和歌山県に入った。
しばらく走ると華岡青洲の生家の近くを通ったが、思えば有吉佐和子は紀州和歌山の人だ。なるほど。つまりは郷土の偉人を取材したわけだな。休憩は紀ノ川のほとりの道の駅だったが「紀ノ川」も彼女の代表作だ。
紀ノ川を渡ると高野山への長い山道が続く。くねくねとひたすら登る。こうやって車で行くにも難儀な道だ。いにしえの参拝者の苦労はいかばかりか。
途中、九度山への分かれ道があった。紀州九度山といえば真田昌幸・幸村親子が幽閉された山だ。こんな山の中から風雲乱れる時を待ったわけだ。その心中や如何。しかし幸村はここから大阪城に向けてよく無事に脱出できたもんだな。
高野山に入るとすっかり観光地と化した街並みがひろがる。かつて弘法大師が入った頃は民家の一軒もなかった。それが今や観光地。そして世界遺産としてその名を世界に轟かすわけだ。全くすごいやね。
昼食の後、まずは奥の院へ。ここは古今の墓地の集合体。天を刺すように真っ直ぐに延びる高野槇の林の中に所狭しと並ぶ歴史上の人物のお墓。その数には圧倒される。歴史好きの人間にはこたえられない。立花宗茂に始まって親鸞聖人、平敦盛、熊谷直実、源満仲、武田信玄・勝頼、伊達政宗、石田三成、明智光秀、法然上人、今井宗久、結城秀康、豊臣秀吉、春日局、島津家、毛利家、井伊家、片桐家、浅野家、山内家、黒田家、松平家、最上家、・・・墓以外にも上杉謙信の作った廟や松尾芭蕉の句碑、司馬遼太郎の文学碑もある。もしワシ一人ならここに三時間くらいいたかもしれない。
その先にあるのが様々な伝説を持つ弘法大師御廟。信仰は伝説を生み、伝説は浪漫を生む。そこはもはや科学的な証拠やデータなど無意味の世界だ。それぞれに信じるものに従うというのが人間のひとつの習性なのかもしれない。
お次は主役、総本山金剛峯寺。ここは襖絵に魅了されたんだが撮影禁止。だが撮影できてもうまくは撮れないだろうな。秀次切腹の間では、あぁこの辺まで血しぶきが飛んだのだろうか、無念やるかたない眼差しで畳を睨んだだろうかと思うとさすがに胸が詰まる思いだった。
最後の壇上伽藍ではその大きさと美しさにこれまた圧倒された。信仰の力とはすごいものだ。
高野山の街中を歩く若き修行僧の姿。中にはブロンドのかわいい女性の修行僧もいた。最近は外国人も修行に来るらしい。これも一つの時代の姿か。
今日のノルマを終えて宿泊先の宿坊の大円院へ。ここも由緒ある寺で歴代住職の中にはあの滝口入道もいる。名前は立花宗茂の法号からとったそうな。
高野山では何もかもワシの興味をそそる。しばらく滞在してみたいやね。
宿坊というのはどういうものかと興味津々だったが、別に普通の旅館と変わらない。働いてるのが僧侶の人たちで、料理が精進というだけ。
部屋は三人一部屋だったがワシと同室のお二人はかなりのご高齢。「私は徴兵検査は甲種合格だった」「僕は乙種だった」なんて会話をされてる。曾孫までおられるとのこと。すごくないか?
風呂で汗を流してから精進料理で食事。なんとお酒が出た。いいの?その辺は厳しくないのかな。
今日はかなり歩いて皆さんお疲れの様子。食事の後同室のお二方はすぐに寝てしまった。ワシ一人日記を書く高野山の夜・・・。
 
「奥の院」
 
もののふの 御霊集まる 奥の院
因襲越へて 語りあふかな
 

 
10月12日(月)晴れ
今日は3社。普通に仕事してるし。
 
帰りにゆめタウンで「水滸伝」を買った。仮にも物書き志望の人間が中国の三大奇書を読んでないというのはいかにもまずい。「三国志」と「西遊記」は読んだので今回の「水滸伝」で完了だ。本当なら「金瓶梅」も読むべきなんだろうがそっちにはあまり食指が動かない。まぁ三大奇書だけでいいやろ。(ちなみに「金瓶梅」を入れると四大奇書になる。)
こういった中国の古くからある物語というのは、日本の場合と違って誰がいつ書いたかというのがはっきりしない。長い年月をかけていろんな人たちによって書き加え、書き換えられて現在に至っている。だからどの時点で完成かというのもはっきりしない。特にこの「水滸伝」は70回本、100回本、120回本などいろんなパターンがある。今回ワシは岩波の100回本にした。いろいろ調べるとどうもこの100回本が本当の水滸伝だという意見が多いようなので。
それにしても久しぶりに新刊本を買った。ピカピカの本なんて久しぶりだ。いつも古本屋かオークションだから。なんだか嬉しいやね。
 
「水滸伝」
 
ひもとくは 水のほとりの ものがたり
心踊らす 百八の星
 
 
10月11日(日)晴れ
午前中は「マツノデザイン店舗建築」さんへ。午後からは姫を「ベジキッチン」まで迎えに行ってそのまま志賀島へトレーニングに行った。今週は忙しいのでおそらくこれで最後のトレーニング。1週間あくけど大丈夫かいな?
 
姫:「お昼何食べたと?」
ワシ:「明太子パスタを作った。うまかったよ」
姫:「いいなぁ。食べたい」
ワシ:「コツはね、明太子を日本酒でとくことよ」」
姫:明太子をニボシでとく?
ワシ:「・・・・・・」
姫:「(笑)なんて言ったと?」
ワシ:「日本酒じゃ!」
姫:「あぁ日本酒ね(笑)。なるほどね」
 
今日の志賀島は晴天で風も強くなく気持ちのいいトレーニング日和。ただし日差しは結構きつかった。今日もタイムを計ったが、なんと55分8秒。前回より4分も縮まった!本番もこれくらいで走れれば作戦成功なんだがな。
 
「志賀島」
 
潮騒と 風したがへて 志賀島
汗はかわきて 塩となりけり
 
10月10日(土)晴れ
そうか。世の中3連休なのか。どうりで朝は車が少なかった。今日は春日で2社、飯塚で1社。
 
日中、車の窓を全開にして走るのにちょうどいい気候になった。洗車してピカピカのリカちゃんで飛ばしたいところだが、もうそんなに無理はさせれない。21万キロのご老体。別れが近づいているのかもしれないと思うと寂しいものがある。これ以上にフィーリングのあう車にはもう出会えないだろうな。これもまたいい出会いだった。
 
今月は高野山への旅行と志賀島マラソン大会と続く。こういう時に限ってなぜか仕事も立て込む。ようやく一息つけるのは10月末か。11月にはまた小説書きたいやね。
 
「あけび」
 
恋人の 前で食べれぬ あけびかな
 
10月8日(木)曇り
推理小説というやつをいつか一冊書いてみたいと思うが、暗算もできないこの頭では所詮無理かなとも思う。だいたいワシが考えつくくらいの展開やトリックはもう既に誰か書いていると思う。エドガー・アラン・ポーに始まり、コナン・ドイル、アガサ・クリスティ・エラリー・クイーン、ヴァン・ダイン、ディクスン・カー、G・K・チェスタトン、アイザック・アシモフ、イーデン・フィルポッツ、F・W・クロフツ、江戸川乱歩、横溝正史、松本清張・・・・・・もうこのへんの大御所たちがほとんどあらゆるパターンを網羅してしまったのではないだろうか?
 
科学技術の進歩というやつが推理小説を面白くなくしてしまったと個人的には思う。DNAをはじめとした生物学的知識や情報技術の進歩、交通機関の発達、セキュリティの強化などはかつての名作の中の犯罪をどんどん不可能にしてしまう。だからこの現代において未だに果敢にも推理小説に取り組む作家には脱帽せざるを得ない。
 
推理小説の名作に出会った時の感動というのは爽快なもので、「あ!そうか!その手があったか!」と思わせてくれる作家には感謝の念すら覚えてしまう。逆に「そんなの無理やろうもん」と納得できない時は怒りを覚える。だから買う時には慎重にならざるを得ない。ネットで評価をチェックしたり、傑作のランキングを見たりしてほぼ間違いないかなと確信を得たところで買う。だから我が家にある推理小説はおおよそ傑作が揃っている。それらが並ぶ本棚をたまに眺めてほくそ笑んだりする怪しいワシ。
 
作家が長編推理の傑作を書くのは6つが限界だと言ったのはヴァン・ダイン(そう言う彼は12作書いたが、確かに面白いのは前半の6作のみ)だが、その点についてはワシも同意見だ。どんな優れた作家でもそうたくさん傑作を書けるものではない。だから書けば書くほど駄作の比率が増してくる。もし横溝正史や松本清張が推理小説をせめて20作くらいにとどめておけば、彼らの評価はもはや伝説の域にまで達したのではないだろうか?ところが悲しいかな二人ともあまりに多く書きすぎた。だから駄作も結構ある。買う時には注意が必要だ。極めて優れた傑作をほんの少しだけ世に残して去って行くみたいな作家がいいやね。
 
「ミステリー」
 
ミステリー 納得いかず ヒステリー
 
10月6日(火)曇りのち晴れ

仕事が終わってから急いで志賀島へ。2回目の志賀島トレーニング。6時前くらいから走り始めた。陽が落ちて暗くなる前に走ろうと思ったが甘かった。走り始めこそ暁に染まるイワシ雲が美しかったが、4km地点の国民宿舎に来た時点で既に足元がよく見えなくなった。問題はその先だった。民家もないし街灯もない。道路の白線がかろうじて見える程度。たまに通る車のサーチライトで先の方を確認するしかなかった。これじゃ危なくてしょうがない。失敗だったなと思いつつもなんとかペースを緩めずに走ろうと必死で頑張った。たまに民家があるとホッとする。これじゃまるで旅の侍。今宵の宿はあの庵か、はたまた星の下か。

「もし、お侍様、どちらへおいでですか?」
「なに、拙者はトレーニング中であったのだが、秋の陽の落ちるに追いつかずこのていたらく」
「この先は危のうございます。あばら家でございますがどうぞお泊り下さいませ」
「かたじけない。では世話になるかの」
「せめてなりとも雨露しのぎにはなりましょう。どうぞごゆるりと」
「今宵は星の宿かと思っておったが、渡りに船じゃ」
「お疲れでございましょう。芋粥しかございませぬが、もしよろしければ」
「おぉ、これはいたみいる」
「褥は隣の間にご用意してございます」
「なにからなにまでかたじけない」

こんな感じで泊まった宿で、夜中に目を覚ましたら包丁を研ぐ音がシャッ、シャッ、とか聞こえてきたりして・・・・・・。

・・・・・・とかアホな連想をしつつ対岸の夜景を眺めながら黙々と走った。民家の多いところに来るとホッとする。そしてなんとか1周走り終えてタイムを見ると、59分12秒!おーかろうじて1時間きった(笑)。遅すぎ!10kmを50分切っていた頃が懐かしい。あの頃ワシは若かった・・・。
 
「夜の志賀島」
 
走るのは アホのみ 夜の 志賀島
 

10月5日(月)晴れのち曇り

今朝は術後の検診で「九大病院」へ。歯科の病棟の横に新しい病棟が出来て、これまで旧病棟にあった科が全てそこに移動していた。その1階が歯科も含め全ての受付として統一されていた。朝9時に行ったが既にかなりの人で混雑していた。当然誰しも慣れないので案内係があちこちに立っていたがその数が半端じゃない。行く先々に立っていた。なるほどこれでは迷いようがないな。しかしすごい人件費だ。さすが九大病院。
今回の検診では手術を担当して下さったS先生が診に来て下さった。患部を観察して、「うん。いいですね。もう大丈夫と思いますよ」と言われた時のその落ち着いた雰囲気。なんと頼もしいことか。奇跡のような手術をしたのに、S先生には日課のひとつをこなしたに過ぎないのだろうか?器の大きさというか人間性の深さというか、大した人もいるもんだ。本当にいい人に巡り会えた。
 
今日はハードスケジュール。あちこちと5社飛び回った。最後は「ランドリー・キッチン」さんで一人寂しく作業したが、隣室で親分が社員の人に「お前、このへんを全部網羅してな・・・・・・もうらってわかるか?モスラの親戚じゃないぞ?」と言っているのが聞こえてそれが妙にツボにはまり、一人でくすくすと笑ってしまった。
 
姫に借りたエラリー・クイーンの「九尾の猫」を読み終わった。めっちゃ面白くて夢中で読んでしまった。完璧な構成、納得のいく仕掛け、無駄のない文章、劇的な結末・・・楽しませてくれる。さすがは大御所エラリー・クイーンだ。
読み終わって実に嬉しかった。非常に嬉しかった。心底嬉しかった。ワシは犯人を当てたのだ!これが嬉しくないわけがない。たまにこうやって作者の罠に気付くと余計に楽しめた感じがする。フフフフ。ハハハハ。暗算もできんような頭で犯人を当てたぞ!
 
「秋の空」
 
犯人を あててきよけき 秋の空
 

10月4日(日)晴れ

「志賀島マラソン」が今月18日。その前に実際に志賀島でトレーニングしておこうと思ったいたが、姫が「今日、ゴトー先生と一緒に走りにいこう」というので夕方志賀島へ。
現地で待ち合わせだったが先生がなかなか来ないのでワシは一足先に走り始めた。予想よりも起伏が少なく、国民宿舎を過ぎたところの坂さえ乗り越えれば、あとは全体に楽だなという感触を得た。距離感も大よそ掴めた。もう2回ほど現地で走っておけば大丈夫だろうと思う。身体が慣れれば景色を楽しみながら走れるはず・・・。
走り終わって、後から走り始めた姫とゴトー先生を待っているとメールがきた。「かもん」げな。車で拾いに行くと中間地点ぐらいでぶらぶらと歩いている二人を発見。なんじゃその楽勝トレーニングはぁ〜!
 
「志賀島」
 
波にあそぶ 夕陽を愛でて 志賀島
流れし汗も 照らしおるかな
 

10月3日(土)晴れ

今朝は町主催の健康診断。今回はいつものメニューにプラスして胃検診も受けた。そういうわけでワシはバリウム初体験!
他の全ての検診を終えて、最後に胃検診の車へ。げっぷをしないで下さいと念を押されると逆に不安になる。最初に顆粒状のものを口に含まされ、それを少量のバリウムで流し込む。その瞬間!実はちょっとげっぷした(笑)。しれ〜っとした表情でごまかした。そして次に少し多めにバリウムを飲む。げっぷ我慢!我慢!それから検査室に入り、縦になった担架状の機械の前に立たされ、手すりをつかむ。そうするとサンダーバードの出動のようにワシは直立不動の状態で倒されたり、逆さになったり。途中で横になった時は寝返りを打ったり、横向いたり、いろんな体勢をさせられたが、要するにああやって胃をいろんな角度で見てるんだろうな。
撮影は無事に終わったので最初のげっぷは問題なかったらしい。バリウムを出すためにすぐに下剤を飲んで下さいと言われ、水で下剤を2錠飲んだ。それから仕事に出かけたが、その下剤の効くこと!3回もトイレに行った。あんなにてきめんに来るとは思わなかった。
バリウムも下剤も初体験。なんでも勉強やな。歩歩是道場。
 
午後、パソコンのメンテナンスのために久しぶりに東区の猫屋敷のすいかぼんさん宅を訪問。実に4年ぶり。リビングに案内されると徐に並んでいる遺灰が3つ。何かと思えばかつてうろうろしてた猫たちのものだった。どうやらワシがご無沙汰している間に世代交代が進んだらしい。今うろうろしているのは子どもたちだそうな。猫の世界も諸行無常か。
 
今夜は一人宴。
 
「バリウム」
 
バリウムや トイレ探して 西東
 

10月2日(金)雨
知人と車ですれ違っても気付かないと昨日書いたばかりなのに、サラリーマン時代の先輩であり上司であるYさんから久しぶりに電話があって、「しんぐ、昨日すれ違ったぞ」と言われた。あぁまたしても。「すげー派手な車乗ってるやついるなと思ってみたらしんぐやった」げな。やっぱリカちゃんわかりやすいわな。
Yさんはワシがコンピュータメーカーに勤めてた時にいろいろと教わった師匠でもある。この人のコンピュータに限らず物理や電気一般における豊富な知識の前にワシは圧倒されて、これほどまでにならないとこの会社では上に行けないのだろうか?とちょっと絶望感を覚えたこともあった。後で知ったがYさんの博学さは特別だった。Yさんの姿勢からワシは基本の大事さを学んだ。知ったかぶりの知識は所詮底が薄い。根本のしくみからきっちり把握した上で新しい知識を乗せていくこと。そうして築き上げた造詣は崩れにくくかつ自在に応用も利く。Yさんはそういうことを学ばせてくれた貴重な師匠なのだ。東京から転勤で福岡に戻って来られたそうだが、わざわざこんなワシに電話を頂けるなど恐縮千万。
 
「師」
 
師と仰ぐ 人ありて我 飯を食う
 
10月1日(木)曇り
(幸田文 風)
 
木曜日は常でも午前中に2件、午後に3件の客をかかえ多忙を極めるが、ことに今日はまだ通勤の渋滞も解消せぬ早朝から「ムラオ商事&やひめ」さんにトラブル対応に出動したためにさらに身を粉にする思いだった。しかし多忙というのは充足感を与えてくれるので全てを終えて帰る道というのは実に気分がいい。
 
車で移動中、他の車がすれ違いざまにクラクションを鳴らすことが多々ある。車が車なので見つけやすいらしく、知り合いがワシに気付かせるために鳴らすのだがそれが誰だったか見るまでにいつも間に合わない。次は手を振ろう、クラクションを鳴らそうと思うのだが、いつも気付いた時には先方は行き過ぎている。今日も「やひめ」の橋本社長に、「先生、ダメだよ、本読みながら運転しちゃあ」と言われた。渋滞で止まっている時にすれ違ったらしいがそれでも気付かなかった。鈍くさいというか、はなはだ情けないものがある。
 
今夜は姫が仕事で遅くなるので夕飯は帰り道にある行きつけの中華「福来家」ですませた。この店では毎回違うものを注文することにしている。初めて来た時に天津飯に感動して以来、その実力を他の味でも楽しむべくあれやこれやと注文してきたが、これまで期待を裏切られたことはない。いづれも満足のいく水準に達して毎度毎度唸らせてくれた。今日は中華丼と焼き餃子にした。中華丼は間違いなくワシが今まで食べてきた中華丼の中で一番の味。焼き餃子にはさらに感動した。本場の中華の味が楽しめる店の餃子は皮がおいしいのが特徴だが、ここも例外ではなくもちっとした食感がたまらない。しかも焼き餃子なのに食べた瞬間に中の肉汁が飛び出すほどにジューシーで、数枚上手の店の餃子とはこれほどまでに違うものかと感嘆しながら食べた。しばらく箸を止めるほどの感動を与える力量の向こう側には、計り知れないほど大きな歴史を感じた。悠久であり広大な大陸の息吹を感じた。この味に至るまでには努力があった、歴史があった、苦難があった。だから生半可な知識と修練で体得できるところにはないぞと教えられているかのような、そんな圧倒的な実力を感じた。次回はどのメニューで手前勝手な感動を味わうことにしようか。
 
今、幸田文を読んでいるのでひとつ真似してみようと思って書いてみたが、なにぶん浅い文章力ではあの気品と威厳を醸し出すそつのない文章には遠く及ばない。幸田家のDNAには文章力に関する情報も含まれていたのだろうか?
 
「歴史」
 
箸止める 四千年の 歴史かな