この日記は全てノンフィクションであり、登場する人物・団体名などは全て実在のものです。
3月
3月31日(土)晴れ
前日結構飲んだにも関わらずすっきりとした目覚めで朝を迎えた。早速大浴場で一風呂浴びて、朝食前に球磨川のほとりを散策した。

朝食はバイキングだったが、これまたおいしかった!いつものことながら食べ過ぎてしまうバイキングだが、今日は少しはセーブできたつもり。品数が多いのでちょっとずつ取ったつもりでもやはり量は多くなってしまう。

お腹ができたところで再度散策へ。今度は宿から歩いて5分のところに「人吉城址」へ。ここは石垣しかないが、結構な広さと高さで、眺めは非常に良かった。なるほど藩主が城下町を一望するには絶好の場所だと思った。







チェックアウトの時間になったので一度宿に戻り、チェックアウトを済ませて再度城址へ。今度は歴史資料館を見学した。家老の屋敷の遺構から発見された謎の地下室を見学することができた。未だにどういう用途だったのかわからないらしい。非常に興味深い話だ。

次は「青井阿蘇神社」へ。ここは国宝に指定されている神社で、慶長年間に作られたという古い建物は驚いたことに藁葺だった。なかなか貴重な神社を見ることができて良かった。



ここでお昼が近くなってきたので、12時過ぎに人吉駅に到着するというSLを見に行くことにした。入場券を買ってホームで待っていると来た来た、過去からタイムスリップしてきたという感じでSLがホームにすべりこんできた。なんとも勇壮な姿だった。
人吉駅の名物おじさんである駅弁売りの菖蒲さんから駅弁を買うこともできて大満足。





お次は「永国寺」へ。ここは幽霊を描いた掛け軸があることで有名。なるほど背筋が寒くなる感じがした。他にも西郷隆盛の書も見ることができた。なんでも西南戦争の際に一時この寺に陣を置いていたことがあるそうな。



その後は再度城址に戻ってベンチで駅弁を食べ、そして高速に乗って帰路についた。
夕食の時、お土産に買ってきた米焼酎で早速ハイボールを再現して飲んだ。ちょっと米焼酎にハマりそうな予感がした。

今回は1日目の山はもちろん、2日目の人吉観光も非常に充実して楽しかった。人吉の街はすっかり気に入ったのでまた来ようと思う。次回は車ではなくSLで!

「SL」

SLの 汽笛にさわぐ 旅情かな

3月30日(金)晴れ
この時期恒例の「南九州登山と温泉の旅」。第三回目の今年は人吉!白髪岳に登って、球磨川沿いの「あゆの郷」で一泊。

朝7時前に出発。マキイで弁当を買って高速に乗った。そして基山サービスエリアで朝食。 特に渋滞もなくスムーズに移動して人吉インターで降りた。

そこからさらに1時間ほど走って、登山口に着いたのが11時過ぎ。予定通り。 そしていざ、白髪岳にチャレンジ。標高1,417mとなかなかの高さだが、登山口が既にかなり高く、登山というより稜線をのんびり歩くトレッキングという感じで楽な山だった。

頂上は広く360度視界がひらけて見晴らしが良かった。霞のせいであまり遠方は見えなかったが、ここから韓国岳が見えるとのこと。





マキイの弁当を食べて、下山開始。この山は登りが少ないのはいいが、そのかわり行きと帰りに時間の差があまりない。途中、本当に下ってるのか?と思ってしまうほどアップダウンが少ない。

登山口に戻り、車で道の駅でちょっと寄り道。そして宿へ。 今回の宿、「あゆの郷」は外観は温泉街にありがちな大きな観光ホテルだが、かなりの大改装をしてるようで中の様子は高級ホテルのようだった。 部屋も8階なのにベランダに露天風呂があるという贅沢な造り。室内のセンスも良く、今回で終わりにするのはもったいないと思った。



まずは汗を流すために大浴場に行った。ここも露天風呂があり、この日は男性が5階だったが見晴らしも良かった。お湯の質も良く上がるのが惜しい気がした。 脱衣所にはなんと、ビールのサーバーがあった。なんと太っ腹!湯上がりの一杯は最高だった。

お待ちかねの夕食。大型観光ホテルだから期待せず、まずくなければOKくらいのスタンスで挑んだが、とんでもない嬉しい誤算!素材良し、味良し、量よし。工夫も見られて大満足だった。

食後、館内のバーで焼酎のハイボールを飲んだがこれまたおいしかった。同じ焼酎を売店で買って帰って再現してみようと思う。 部屋に戻り、ベランダの露天風呂に浸かってから就寝。いい一日だった。



「球磨川」

球磨川の 音や旅路の 子守唄

3月26日(月)晴れ
プロレスの話。
最近、またプロレスを見るようになった。Youtubeのおかげだ。ワシらの世代は子どもの頃ほとんどの男子がプロレスを見ていたのではないだろうか?ワシがよく見たのは新日本プロレス。

記憶をたどると、猪木とタイガー・ジェットシンの戦い、異種格闘技戦、タイガーマスクブーム、ニューリーダーとナウリーダーの抗争、IWGP、巌流島、飛龍革命、UWF、闘魂三銃士……ここまできたところでワシは社会人となって日々の生活に追われるようになって、プロレスを見なくなった。

そして結婚して家庭にケーブルTVが入り始めた頃に、WWEを見るようになった。ザ・ロックやスティ−ブ・オースチン全盛時代。だがこれもWWEの放送が有料化されてからは見なくなった。

最近ではテレビは全く見なくなりYoutubeがそれに替ったが、そこに大量にプロレスの動画があることを発見。そしてまたプロレスを見るようになったというわけ。

最近の新日本プロレスを見て思うこと。こりゃ全くWWEではないかと。あのかつての殺伐とした命の削り合いのようなプロレスではなく、老若男女楽しく見れるアメリカンプロレスに変わっていた。なるほど、それで新日本プロレスはV字回復したのかと納得できた。

それに加えて今ではSNSで簡単に選手のプライベートを知ることができ、より親近感を持つことができるようになった。これも大きな要因だろうと思う。

今の新日本プロレスはスター選手が山ほどいる。試合も面白い。いわば繁栄の勢いを感じる。ファンを楽しませようという意気込みも感じる。
新日本プロレスが今後WWEのような国際的スポーツ産業に発展していくことを期待している。

「あの頃の」

あの頃の 練習生 今 メインはる
なるほどワシも 歳とるはずだ

3月23日(金)晴れ
個人的な見解として、世界最高の文学作品はドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」ではないかと思っている。これはおそらく今後も変わらないと思う
それで、久しぶりに読み返してみようかと思ったが、我が家にあるのはかなり古い岩波書店(米川正夫訳)版なので、ヤフーのポイントの期限もあることだしこの機会に買い直そうかと思った。
どうせ買うなら違う人が翻訳したものをと思いネットで検索してみるといろんな人が翻訳している。誰がどんな訳をしているかを比較しているサイトもあったので参考にさせてもらったが、驚いたことに”意訳”ではなく、間違った訳をしているものがあるということだった。
こっちがロシア語はさっぱりわからないので、与えられた訳をそのまま信じるしかない。それがもし間違っているものであればそれはちょっと残念だ。海外の作品を読む時には翻訳者を慎重に選ばないといけないと思った。
とはいえ、ドストエフスキーのように翻訳者を自由に選べるほどたくさんあればいいのだが、ほとんどの作品はそうもいかないだろう。

今後、果たして今読んでいる海外小説の訳は正しいのか?と思いながら読むようになってしまうかもしれない。

「言葉の壁」

文学に 言葉の壁の 厚きこと
原語で読むに 越したことなし

3月7日(水)晴れ
いろんな文学作品を読んできてちょっとネタ切れ感のある昨今、ふと思った。「現存する最古の文学作品ってなんだろう?」。そして調べてみると、その可能性が高いということで行きついたのが「ギルガメッシュ叙事詩」。 古代メソポタミア文明が生んだ文学作品だ。

1849年に、アッシリア帝国の都ニネヴェでアッシュールバニパル宮廷図書館の遺跡が発掘され、そこで楔形文字が記された約2万枚の粘土板が発見された。それらは大英博物館で解読され、それがきっかけで古代メソポタミアの楔形文字が読めるようになったらしい。

1872年に同じニネヴェで発掘されたある粘土板から、遺物修復係のジョージ・スミスという人がある一文を発見する。それがこの物語の一部だった。
その後、他の部分も徐々に発見され、今ではほぼ半分ぐらいが復元、解読された。それを矢島文夫さんが日本語に訳したのがこの「ギルガメッシュ叙事詩」というわけだ。

170年近くに渡ってたくさんの人が発掘、復元、解読、翻訳に奮闘してようやく出来上がったわけだ。まだ欠落した部分が多いが、物語の全体の内容はほぼ把握できる。

驚くのは、聖書の「ノアの方舟」とほぼ同じ内容の箇所があることだ。果たしてどちらが先なのか?この部分が明らかになった時にヨーロッパで大騒ぎになったのは言うまでもない。

書かれたのはおそらく紀元前3000年紀ではないかと言われているが、そんな途方もない大昔に既に人を楽しませる物語があったことに非常に感動を覚えた。そして多くの人の長年に渡る努力が、こうして気軽に読める本にしてくれたことに深い感謝を覚えずにはいられなかった。



「粘土板」

粘土板 遥か太古の ワードかな

3月3日(土)晴れ
久しぶりの東京出張で、経営コンサルタントのXさんと昼食をともにした。
その人とは土木事務所で知り合った。ワシが不動産の開業の手続きに来た時に、Xさんは宅建士の資格の更新に来られてた。書類の書き方がわからなくて困ってる様子だったのでワシが教えてあげたことがきっかけだった。
その時は人の良さそうな御年配の方というイメージしかなかったが、経営に関する本を出版されてるということを聞いたので帰宅してネットで名前を検索して腰を抜かさんばかりに驚いた。全国的に有名な経営コンサルタントで、顧客は有名企業ばかり。出版した本はかなりの数で、今まで多くの企業を上場に導いた実績があった。

そんなすごい人と知り合って2年。たまには東京のご自宅にご挨拶にと思って、今日出向いた。初めてゆっくりお話する時間が持てた。 伺った話のスケールの大きさには本当に圧倒された。日本を代表する大企業や、財界の大物の名前が友達のように気安く話題に上った。 それと同時に自分が雑魚のように取るに足りない存在に見えて打ちひしがれる思いもあった。

仕事の依頼は全て紹介か、もしくは本の読者から。広告は一度もしたことがない。仕事を受けるかどうかは社長を見て決める。どんな大企業の社長の依頼でも上から目線なら断る。その代わり受けるとなれば絶対に結果を出す。今まで結果が出なかった顧客はゼロ。安定して結果が出るようになれば自分から解約を申し出る。
全くどこまですごいのか……。

超がつく高級車で駅まで送り迎えまでして頂いた。自分でもあつかましいと思う。こんな雑魚みたいな人間とも気さくに接して下さるところに、なんとも計り知れない人間の大きさを感じた。

神宮さんの会社もコンサル入りましょうか?タダでもいいですよ?と笑顔で言われて、氷のように固くなって辞退した。勿体ない勿体ない。(ちなみにXさんのコンサルタント料は日本一高い!)

駅で別れた後は半ば放心状態だった。Xさんの充実した人生が羨ましかった。Xさんは一つの企業の成長に貢献したのではなく、日本の経済の成長に貢献したと言える。男として実に痛快な人生だ。

それにしてもいい刺激になった。 出会いは生きていく上で最も貴重な収穫だなとつくづく感じた。

「成功」

成し遂げし 人の笑顔の 柔らかき