この日記は全てノンフィクションであり、登場する人物・団体名などは全て実在のものです。
5月
5月31日(土)晴れJimi Hendrix
今日の午後は飯塚から夜須町、朝倉を抜けてうきはの「ル・シュクル」さんへ。ケーキの撮影の続き。相変わらずお客さんは多い様子。「ル・シュクル」さんの味がうきはの人に受け入れられたことはなんか自分のことのように嬉しい。でも過労ぎみの林田さん御夫妻が心配。
 
うきはから雷山へ移動。「雷山千如寺」さんへ。今日は千如寺さんにある茶室を初めて見せて頂いた。先代がお茶の世界が好きだったらしく、素晴らしい茶室だった。ここで茶会があれば是非参加したい。
 
えしぇ蔵文学修行の旅は4ヶ月経過。今月終わったのは以下の8冊。
 
「牧野信一/梶井基次郎」、「川端康成(1)」、「川端康成(2)」、「井伏鱒二」、「小林多喜二/徳永直」、「葉山嘉樹/黒島伝治/伊藤永之介」、「林芙美子」、「大岡昇平」
 
52冊終了、あと36冊。
 
「うきは」
 
やはらかき
麦の穂ゆれて
うきはまち
 
5月30日(金)曇りのち雨Dream Theater
午前中は「ブライダルミュージアム ビッビ」さんに顔を出した後、西日本シティ銀行にちょっと寄ってから一路大野城へ。「Rプランニング」さんにお邪魔し、最後は「質みよし」さんで着物の撮影。
 
質みよし」さんで領収書を書いてる時にふと顔を上げると、社長がいるかと思いきやなんと!なつかしのななたろーがいた!もともとななたろーは「質みよし」さんの親戚で、ワシはななたろーのおかげでここに出入りできるようになったのだ。いやそれにしても懐かしい。全く変わってなかった。「九州外語専門学校」さんでななたろーたちが活躍してたのはいつ頃だったかなと過去の日記をたどってみると、2004年の9月10月11月頃だった。読み返してみるとわれながら面白い。学校行ってた頃はなんか毎日盛り上がってたなぁ。死ぬ時にはこの頃のことは必ず思いだすやろうな。ミスターイトー元気かな?
 
「白髪」
 
教え子の
変わらぬ若さ
うらやみて
鬢の白髪の
数へ尽くさず
 
5月28日(水)曇りのち雨なし
「新郷商会」さん、「三開発」さん、「オアシス珈琲」さんとまわって、最後は古賀の新規のお客さんを訪問し、ホームページリニューアルに関する打ち合わせをした。夕方からの大雨の前には帰宅。
 
三開発」さんで作業してると奥さんが何か言いたげだがわざとじーっと黙っている様子だったので訊いてみた。
 
ワシ:「どうしたんですか?」
奥さん:「しゃべると日記に書かれるきぃ(笑)」
ワシ:「そんなこと言わずなんかネタを下さい(笑)」
奥さん:「こないだですね、(←早速!)社長が『太田自動車鈑金』の太田さんたちとお風呂入りに行ったんですよ」
ワシ:「はい」
奥さん:「それで私が着替えを準備して持たせたんですよ。そしたら社長が風呂から電話してきてですね、『お前ねぇ、ドラゴンボールのパンツはねぇやろ?』て言われたんです」
ワシ:「あはははは!」
奥さん:「私が間違えてですね、一番下の子のパンツを入れちょったとです。電話の後ろでみんながゲラゲラ笑うとが聞こえるとです(笑)」

さすが奥さんだなぁ。
 
「パンツ」
 
おやじはく
ドラゴンボールの
パンツかな
 
5月27日(火)晴れDream Theater

やっぱDream Theaterはいいなぁ。聞いてるほうもついていけない複雑なリズムがたまらない。コンサートで正確に手拍子するのは至難の業だな。
 
ウイルホーム」さんに行ったら社長に知恵の輪を渡された。この知能指数の低いワシに知恵の輪をしろと!暗算が苦手でいつもケラケラ姫に笑われるワシに知恵の輪をしろと!社長がホイホイと簡単に外してたからワシも頑張ってみた。なんとか外せたけどやっぱり時間かかった。我が家はおやじを筆頭に爺さんもひい爺さんも兄貴も叔父さんも頭がいいのにワシだけそれをもらわなかった。クイズを解くのもいつも人より遅い。なんでやっかぁ?推理小説だけは書くべきではないな。
 
住まいのイシダ」さん、「東部ハウジング」さん、「やひめ」の橋本社長宅と訪問して帰宅。橋本社長宅では奥さんが次から次におやつを出してきてくれたのでおやつで満腹。しかも帰りにお土産どっさり。奥さんは姫がお気に入りなので「遊びに来るように伝えて下さい」と言われた。なんだかもうほんとに恐縮しまくり。(奥さん、ありがとうございました。)
 
「ため息」
 
ひとつまた
ため息もらす
五月かな
 

5月26日(月)晴れDream Theater
旅の疲れをとるために「中国鍼灸院」さんにお邪魔した。呉先生がパソコンでプリントアウトしたものを見せるので何かと思えば、なんと!呉先生が書いた「えしぇ蔵日記」だった。
 
呉先生:「はい。今日の日記」
ワシ:「すごい(笑)。書き方までちゃんと真似してるし」
呉先生:「今日は日記書かなくてもいいネ」
ワシ:「はい。楽です」
 
その呉先生が書いた「えしぇ蔵日記」を以下に公開。


「隕石と周恩来」
 
健康のため、まずは「中国鍼灸院」で充電。今日も不思議な話を聞いた。
 
呉先生:「今日は隕石と周恩来の話ネ」
ワシ:「はい」
呉先生:「1976年、看護婦が毛沢東に新聞を読んであげたことがあったヨ。『1976年3月8日、隕石が中国東北部吉林に落下。最大のものは1770kgで石質隕石では世界最大。100kg以上のものが3個、0.5kg以上のものは100個を越え、範囲500kmにわたって落下』。ここで毛沢東は、『星隕人死』と言ったネ。看護婦は誰か死ぬと星が落ちるものなのか?と訊いたネ。毛沢東は、『天人合一。偉い人が生まれると地震があり、死ぬと隕石が落ちる』と答えたよ。中国の歴史には偉人と隕石の記録はたくさんあるヨ。三国志の孔明が死んだ時も五丈原に星が落ちたヨ。毛沢東は窓から星を見て亡くなったばかりの周恩来のことを考えたヨ。そして自分のことも・・・」
ワシ:「へー」
呉先生:「1976年に周恩来、朱徳、毛沢東の三人が逝世したヨ」
ワシ:「そうなんですか」
呉先生:「1976年7月28日に中国唐山大地震(マグニチュード7.8)があったのは、ケ小平の改革解放や富民強国の案が誕生した年ネ」
ワシ:「今回の四川大地震もなにかあるんですかね?」
呉先生:「13億中華巨龍が起きて飛ぶ時は凄い地響きを伴うかもネ。この話を小説家神宮先生にお願いしましょうネ」
ワシ:「えー!」

いわゆる隕石と偉人の伝説だな。おもしろいなぁ。
 
「周総理」
 
蜀相諸葛孔明死、(蜀の諸葛孔明死して)
人悲星落五丈原。(五丈原に星落ちて人悲しむ)
周恩来総理逝世、(周恩来総理死して)
隕石如雨涙若泉。(隕石は雨のごとし、人の涙は泉のごとし)


・・・先生すごすぎ。言い回しとかワシのリアクションとか、そっくりやん。でもワシならこんなすごい漢詩は書けない・・・。
 
コスモ不動産」さんの後、「福岡大手門」さんへ。幸恵さんのピアノ&声楽教室のブログが出来たので日記の書き方の説明をした。幸恵さんはなんと武蔵野音大でピアノと声楽を学んだというからすごい。華奢なのにどうしてオペラみたいな声が出せるのか不思議で訊いてみると、別に太ってなくてもトレーニング次第で出せるようになるらしい。いつか聞いてみたいやねぇ。
Tanaka Music School
 
「粕屋のお客さん」、「藤田」さんと訪問して今日はおしまい。まだ旅行の疲れが足に残ってる。
 
「残心」
 
身は勤め
心は京に
残しけり
 
5月25日(日)曇りなし
「あずき屋」の朝は大正浪漫風の部屋で洋食。それもまたよしか。
 

 
チェックアウトの時間まで近くの「南禅寺」を見に行った。ここの山門から石川五衛門が「絶景かな」と言ったそうだが、そびえ立つその偉容を見ればそう言いたくなるのもわかる。ならばワシもと山門に登ろうとしたが、「500円也」。全く京都の寺の経済観念には感心する。あれ見るも銭、これ見るも銭。
 

 
純和風の世界の中にいきなり出現する煉瓦造りの水路。せっかくの景観を壊すかと思いきや、ローマの水道橋を模したという赤煉瓦の古びた造りが意外にマッチして不思議な雰囲気を出していた。これはこれでいいかもしれない。
 

 
ここのメインはなんと言っても「方丈。静かなる美は多くを語る。しばし時間を忘れて縁側に膝を抱えて無の境地。
 

 

 
宿をチェックアウトし、京都駅に荷物を預けた後、北野天満宮へ。ここで開催される骨董市は今回の重要な目的の一つ。姫は目を輝かせていた。ある人にはがらくたに過ぎないものが、ある人にはこの上ない宝物になる。がらくたの山から自分だけの宝物を探すのが骨董市の醍醐味。見比べて、値切って、楽しいやね。
 

 
お昼は「鳥岩楼」で親子丼。思ったより濃いめの味だったがさすがにレベルが高い。量も適度でご満悦。
 

 
午後の最初はパン屋「ハチハチ」へ。しかしまたなんでこんなところで?と思わせるような住宅街の奥の古い民家を改装して営業していた。いい仕事をしていればどんな場所だろうが関係ないということを実証していた。たいしたもんだ。
 

 
次は唐紙の「唐長」で時代に左右されないセンスを、お香の「リスン」でバラエティ豊かな香りの世界を見た。
 

 
最後は「錦市場」で買い物、「ソワレ」でお茶してから京都駅へ。
こうして二回目の京都探訪は終了。今回でだいぶ土地勘も掴んだ。あぁ早くこの街を最も多く旅した街にしたい。
 
「京の街」
 
知り尽くし
食い尽くしたし
京の街
 
5月24日(土)曇りのち雨なし
旅行先でも早起きはかわらない。朝食まで時間があるので近くの京都御所まで散歩した。幕末の騒乱の頃、御所を襲う長州と、守る桑名、会津、薩摩の連合軍の間に戦闘があった蛤御門を見上げてまた感慨一潮。門のあちこちに残る弾痕に指を触れて新しい日本の夜明けを探りつつ逝った人々のさ迷う魂を感じた。
 

 
宿の朝食は純和風。正しい日本の朝の食卓を見るようだった。思わず食べ過ぎてしまうのも避けがたきかなだ。
 

 
宿を後にしてまずは歩いてすぐの二条城へ。姫はその間お買い物。たまには別行動も気楽でいいもんだ。一人旅のつもりでツアー客に混じった。それにしても修学旅行の団体の多いこと!引率の先生の説明を後ろで盗み聞き。ふむふむなるほど。
家康と秀頼が会見した間、慶喜が諸大名に大政奉還を宣言した間ではまたしても感動の戦慄が走った。あの歴史の名シーンの舞台を目の当たりにするとさすがに言葉もなかった。
 

 
姫と合流し、今日の宿「あずき屋」に荷物を預け、霊山歴史博物館へ。幕末の史料を見学し、龍馬の墓を見た。雨に濡れる墓碑の周りにたくさんの参拝者の書き残した言葉があった。この人の存在は日本をかえただけではなく、その生き様をもって後世に生きるものに大いなる指標を示したと思う。省みて背筋が伸びる思い。日本の男たるものかくあるべきだな。
 

 
豆菓子や最中を買いながらぶらぶらと歩いて、昼は「おかる」でうどんを食べた。お腹を満たした後は文具の「裏具」、日本刀の「京刀」を覗いた。あらゆる店があらゆる場所で本物を商っている。買い物が楽しい町だ。
 

 

 
一乗寺に移動してからは古本屋巡り。これまた京都の醍醐味。あっちを覗きこっちを覗き。古本を漁るだけの目的で滞在してもいいなと思った。
 
カフェ「猫町」にてしばらく休憩した後は、「末廣」に移動。あなご寿司やいそ巻きの聞きしにまさるうまさに絶句。しかしこれだけ名店が多いなら京都にグルメサイトは不要か?
 

 
今日の宿「あずき屋」も町屋造りで「布屋」同様一日二組限定なので予約がとりにくい。二泊する場合この二軒をセットにする客は少なくないらしい。そして驚いたことに昨日「布屋」に泊まったもう一組の人たちと今日また「あずき屋」で一緒になった。これには宿の人も「こんなこともあんねんなぁ」と驚いていた。すごい偶然。
 
「二条城」
 
慶喜の
憂き陰をもて
歩みける
うぐいすばりの
音は変わらず
 
5月23日(金)晴れなし
朝8時の新幹線に乗り、昼前に京都に着いた。一日目の宿「布屋」に荷物を置きに行く途中、「ふうか」に寄ってふまんじゅうを食べた。おそらく今までのワシらのふまんじゅう史上もっとも美味だったのではなかろうか。京都で本物を見つけるのは容易だ。
 

 
というわけでワシらの「12ヶ月全ての京都を楽しむ」企画第2回目の始まり。今年は5月の京都をゆく蔵と姫。
「布屋」は古い町屋を改装した宿で、京都の受け継がれゆく伝統そのままを体感できるたたずまいがたまらない。これぞ高級ホテルでは得られない日本の宿の醍醐味。半年以上前から予約がいっぱいだそうだからやはり皆求めるところは同じか。全く日本人でよかった。
 

 
さてまずは腹ごしらえから。河原町にある「鴨川カフェ」でランチ。最近ありがちのスタイルだがお味は高級フレンチの一品のように素晴らしい出来映え。さすが姫セレクトにはずれはない。
 
その後は食べた直後にもかかわらず、すぐ近くのパン屋「ほほえみ」でパンを買い、鴨川べりで大文字山を眺めながらかじった。緩やかな流れは前回の京都訪問を想起させた。あの時は豆餅だった。
 
今回の旅のテーマは「幕末の京都」ということにした。まずは龍馬が京都に残した足跡をたどるべく、しばらく龍馬が滞在したという「酢屋」へ。内装はすっかり変わっているが外観は当時の面影を残していた。高瀬川に向かって龍馬がピストルの試し撃ちをしたという二階の格子窓を見上げていると胸中せまるものがある。龍馬の存在は確かにあの頃あの窓にあって日本を新しくする策を練ったり、故郷土佐に残した家族を思ったりしていたわけだ。目を細めて高瀬川の流れを見下ろす彼の姿が見えた気がした。
 

 
その後は買い物行脚。「舩はしや」でお菓子を買い、隣のたわしの店でたわしを買い、「田丸印房」、「鳩居堂」と覗いた。
 

 
お茶休憩した後は「京都文化博物館」へ。ちょうど今展示中の「源氏物語千年紀展」を見た。様々な写本や絵巻、屏風は見応え十分。しばし源氏の世界に浸った。中でも細川幽斎の直筆写本には感銘を受けてしばらくそこから立ち去ることができなかった。あぁこれを幽斎が書いたんだと食い入るように見てしまった。
 

 
「京都文化博物館」を後にし現実の世界に戻ると空腹が先を急がせた。初日の晩餐は「技櫓技櫓」。全くこの店のくずし懐石には脱帽した。京都の食文化の高さを思い知らされた。どの一品も繊細かつ独創的で、味覚を戸惑わせるような未体験の美味しさだった。姫と二人してもはや料理以外のことを話す気になれないとほどだった。
 

「布屋」に戻ってからは木の風呂に入り疲れをとった。部屋は天井が通りのほうに斜めに下がりその先に小さな窓があるという典型的な町屋の二階の造り。そこで古い柱にもたれて日記を書いて今日は終わり。あぁなんと心地よい疲れ・・・。
 

  
「酢屋」
 
在りし日の
龍馬見下ろす
高瀬舟
酢屋の格子に
陰をもとめて
 

5月21日(水)晴れなし
「新郷商会」さん、「太田鈑金」さん、「三開発」さん、「オアシス珈琲」さん、「ブライダルミュージアム ビッビ」さんとまわった。なんだかワシの仕事の半分は運転だな。
 
夕方に久しぶりに香椎の中野さん宅へ。パソコンのメンテ。中野さんはエクセルを使ってカレンダーを自分で作られて、そこに日記も書きこめるようにされてた。その細かい仕事にビックリ。もう2年くらい続けてあるそうな。自分が教えたことをしっかり活かしてくれてる人を見ると嬉しくなる。
 
某文学賞に応募してた長編はどうもすべったみたいだから、来月あたりから連載しようかなと思う。原稿用紙250枚だから5枚づ載せるとして全50回か。気長な話だな。小説用のブログをまた立ち上げるかな。
 
「道」
 
歩みたき
道に誉れは
待たずとも
踵(きびす)かへさず
頭(こうべ)を垂れず
 
5月20日(木)晴れU2
ウイルホーム」さんで社長にいじられ、「住まいのイシダ」さんでN谷さんとF井さんにいじられ、「東部ハウジング」さんでA貞さんとN嶋さんにいじられた。みんなワシをなめとろー?
 
今日の最後は「やひめ」の橋本社長のご自宅へ。パソコンの設置をしてると、社長が「じゃぁ今日は先生に1曲聞かせてやるかなぁ」と練習してるウッドベースを持ち出して来た。それを見た奥さんが「やめなさい!胃が悪くなる」と必死で止めてた。それで結局聞けなかったが次回は是非聞いてみたいなぁ。「Fly me to the moon」をお願いします。
 
「藤」
 
ゆらゆらと
藤はさがりて
なにおもふ
 
5月19日(月)晴れThe Beatles
疲れがたまってきたみたいなのでまずは「中国鍼灸院」さんへ。腰がちょっと痛かったけどうそみたいにとれた。しかし不思議な話だ。呉先生恐るべし。
 
呉先生:「今日は毛沢東と蒋介石の話ね」
ワシ:「はい」
呉先生:「中国にネ、仙人がいたヨ。未来のことがわかる仙人ネ。毛沢東と蒋介石は自分の未来をその仙人に教えてもらったヨ。蒋介石は自分で行ったヨ。でも毛沢東は秘書に生かせたヨ」
ワシ:「へー」
呉先生:「蒋介石は自分が天子になれるかどうか聞いたヨ。仙人は『なれるけど水が必要』と言ったヨ」
ワシ:「水ですか?」
呉先生:「そう。同じ質問で毛沢東の秘書には『土が必要』と言ったヨ」
ワシ:「なんででしょう?」
呉先生:「台湾は海に囲まれてるネ」
ワシ:「あぁなるほど!」
呉先生:「これはあくまで噂ネ。本当かどうか誰もわからないヨ」
ワシ:「はい」
呉先生:「それとこの数字は知ってる?8341」
ワシ:「いいえ」
呉先生:「これはね、毛沢東を守る部隊の名前ネ」
ワシ:「へー」
呉先生:「この数字も毛沢東が仙人にもらった数字ヨ。毛沢東は意味がわからなくて、自分を守る部隊の名前にしちゃったヨ(笑)」
ワシ:「あはははは」
呉先生:

「でもこの数字は不思議な数字ヨ。毛沢東が死んだのは83歳の時ヨ。そして共産党のトップになって死ぬまでの期間が41年ヨ」

ワシ:「えー!!!」
 
いわゆる都市伝説的な話だな。おもしろいなぁ。
 
今日は忙しい。「コスモ不動産」さんが終わってから飯塚の「ゴルフパラダイス」さんへ。そして「粕屋のお客さん」、「藤田」さん、「ホテルぱれっと」のガルシアしゃちょー宅と訪問して帰宅は9時。めいっぱい働いたな。
 
「子曰く」
 
病癒すは医師にはあらず
患うものの心なり
 
5月18日(日)晴れなし
朝は町内の掃除。今回は参加人数が少なかったので3人分くらい働いたから結構疲れた。
その後、昼までは「マツノデザイン店舗建築」さんへ。なんとセガールしゃちょーは書道の腕前を着々と上げて今度昇段試験を受けるらしい。しゃちょーはますます張り切っていた。しゃちょーは絵がうまいからきっとその才能もいい方向に影響してるんだろうと思う。今のうちになんか書いといてもらうかな?
 
午後からうきは町へ。一軒取材した後に「ル・シュクル」さんへ。今日はケーキの撮影。こそこそとワシが撮影している間にどんどんお客さんが来た。林田さん御夫妻もアルバイトの人も忙しそうだった。話を聞くと宗像の頃より来客数は二倍くらいになってるそうな。しかも客単価も高いらしい。「ル・シュクル」さんのケーキが気軽に食べれるなんて、うきは町の人にとっては嬉しい話だな。
 

「ル・シュクル」
 
モンブラン
タヒチクリオロ
モガドール
キャラメルマロン
チーズプリンかな
 
5月17日(土)晴れDeep Purple

今日の午後は八女方面へ。お昼を八女のあるお店で食べたけど悲しいかなはずれだった。先日は久留米ではずした。遠方ではずすとつらいな。(八女市・久留米市のおいしいお店情報募集中!)
 
江田建設」さんで専務と打ち合わせ。江田さんのお客さんで湯布院に別荘を持ってる方がいるらしい。うらやましい話だ。今湯布院の別荘がねらい目らしい。バブルの頃に建てた豪華な別荘がどんどん安くで売りに出てるそうな。それを買ってリフォームして湯布院に住むのが一番お得な方法だが、別荘として持つにはきついやね。でもいつかちょっとでもいいから住んでみたいね、あこがれの湯布院。
 
星香園」さんでおいしいお茶の淹れ方を習ってきた。

牛島さん:「はい。お茶どうぞ」
ワシ:「これ今年の新茶ですか?」
牛島さん:「そうです。今年はマジでうまかですよ。もう自信を持ってオススメできます」
ワシ:「いただきます!・・・・・・かぁ〜やっぱうまいすネ」
牛島さん:「え?それこないだしんぐさんに送ったお茶と同じですよ」
ワシ:「は?・・・・・・やっぱ淹れ方まずかったみたいすね(笑)」
牛島さん:「お湯が多かったんやないですか?」
ワシ:「多分。でもこんなおいしいお茶の良さを出しきってる人って少ないでしょうね」
牛島さん:「でしょうねぇ」
ワシ:「ちょっと淹れ方教えて下さいよ」
牛島さん:「いいですよ」

ということで以下がその手順。(煎茶の場合)
 
煎茶を二人分(二杯分)入れると仮定して・・・
 
1.お茶の葉は約7g カレースプーンに一杯くらい

 
2.お湯はお酒のおちょこ二杯分

 
3.ポットのお湯をまずお湯冷ましに移す
4.お湯冷ましから別の器1に移す
5.別の器1からまた別の器2に入れる
6.別の器2から急須に入れる (これで適温になる)

 
7.急須にお湯を入れたら40秒待つ
8.急須を軽くふって湯呑みに注ぐ (最後の一滴が一番うまい)
 
9.二煎目はポットのお湯を直接急須へ
10.間を置かずにすぐに湯呑みに注ぐ
 
湯呑みは普通のものではなく、お酒のおちょこで十分。
一煎目が勝負なので、二煎目、三煎目は適当でいいらしい。
水は軟水のいいお水を使うこと。水道の水は言語道断。
 
(さぁ!あなたも星香園さんの煎茶を買ってチャレンジ!)
 
「新茶」
 
淹れ方で
生くるも死ぬも
新茶かな
 

5月15日(木)晴れEric Clapton
平和な一日。「ヘアーショップ ムーヴ」さん、「あおば不動産」さん、「アルファホーム」さん、「センチュリー21 小笠原」さん、「東部ハウジング」さんとまわった。
夜は姫がいないのでひき肉と豆腐を買って帰って麻婆豆腐を作って食べた。まぁワシの麻婆豆腐もそれなりに食べれんことはないな。要は豆板醤だな。
 
毎日毎日独り言みたいに書いてるけど、結構な数の人がこれを読んでくれてるみたいで、面識のない人からいきなり仕事の依頼が来ることもある。日記を読んでるから他人のような気がしないんだろうなきっと。ありがたい話だ。
 
「芍薬」
 
芍薬の
ごときなりしと
聞きつれば
くらべてみたし
花の盛りに
 
5月14日(水)曇りのち晴れThe Beatles
本日は、「新郷商会」さん、「三開発」さん、「オアシス珈琲」さん、「日栄」さん、「ムラオ商事やひめ」さんとまわった。
 
オアシス珈琲」さんでグァテマラナチュラルのコーヒーソフトを試食した。もうほんとに感動的なうまさ!今年の夏もジャスコへ行かないと!
 
やひめ」さんにて社長との会話。
 
社長:「先生、最近も走ってる?」
ワシ:「時々ですね」
社長:「おれさ、こないだ三日月山登ったよ」
ワシ:「おぉ、いいですね」
社長:「いや、登るつもりなかったんだよ。散歩しようと思ってさ、三日月山のほうに行ったら道に迷っちゃってさ、散々あちこち歩いてたら、”頂上まで60m”なんて書いてあるんだよ。60mくらいなら登っちまおうかって登ったんだよ」
ワシ:「凄まじい迷子ですね」
社長:「でもさ、そこで力尽きちゃってさ、へーとへとになっちゃってさ、下りれなくなって携帯でかあちゃんに電話してさ、帰りは迎えに来てもらったよ」
ワシ:「(笑)迎えに来て貰っても自分で歩いて下りないとダメでしょ?」
社長:「手引いてもらったよ」

さすが社長やな。
 
「迷子」
 
散歩道
迷いていつか
山頂へ
「かあちゃんたのむ
むかへにきてよ」
 
5月13日(火)福山は雨なし
朝から福山出張。新幹線で1時間半。早いもんだ。客先へ移動してシステムの打ち合わせ。3時には終わるかなと思ってたが甘かった。終わったのは5時半過ぎ。6時の新幹線で帰って来て8時帰宅。
福山のお客さんと関係者の人たちとの打ち合わせの様子は非常に勉強になる。打ち合わせが無駄なく能率的に進められる。脱線してダラダラすることなく、一つ一つ確実に答えを出していく。経営者の思考の手順がしっかりしていて、それがうまく会社に反映されているのかもしれない。こういう会社がダメになっていくということは有り得ないだろうなと思った。
福山はずっと雨だった。ちょっと寒いし。帰りの駅のフォームで聞いたお寺の鐘が耳に残ってる。
 
「寺の鐘」
 
福山や
いづこの寺の
鐘響く
 
5月11日(日)晴れ賛美歌
M島さんに牡丹と芍薬の違いを聞かれた。ワシは植物のことはさっぱしわからない。ネットで調べてみると、牡丹は木で、芍薬は草だそうな。でもどちらもボタン科ボタン属。花だけ見てると見分けにくい。英語ではどちらも「Peony」らしい。ちなみに「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」という美人の喩えがあるが、ここに出てくる3つの花はどれも婦人病の薬草として使われるらしい。
 
和白教会」に行った後、午後はデスクワーク。そして夕方は久々に走った。身体が重い重い。気温が高くなってきたから汗がよくでる。最近食べすぎやからちょっと締めていかないけん。
 
「牡丹と芍薬」
 
大輪の
花は牡丹か
芍薬か
いづれ劣らぬ
美しさかな
 
5月10日(土)雨U2
5月10日とくれば毎年恒例の「雷山千如寺」さんの「御経会」の日。今日は雨だったので御堂の中で護摩を焚いた。ワシは特別に許可を得て、近くまで寄ってその様子を撮影するわけだが、護摩の煙が目にしみた。ゆらめく炎に映し出される和尚さんの横顔には信じるものを持った人が見せるあのゆらぎのない真剣さがあった。和尚さんのまわりでは他のお寺から応援に来た人たちが力強い読経とともに経典をぱたぱたとめくっている。さらにそのまわりには檀家さん、信者さんが手をあわせて一心に祈っている。なんと荘厳な、真剣な空間だろうと思った。毎年のことながら感動させられる。
 

住まいのイシダ」さんでF井さんの愚痴を聞いてあげた後は、太宰府の「九州国立博物館」へ。「国宝大絵巻展」を見に行った。これはどうしても見たかったが時間がなかなかとれなかったので今日は半ば強引に時間を作った。絵巻の本物を間近で見るのは初めて。平安時代のものもあったが、1000年以上の時を経ても細かいタッチと鮮やかな色合いが保たれているのには驚いた。絵巻は文章も入っているのでいわば漫画を読み進むような感じで見ていける楽しさがある。何かを伝えようと思いを込めて描かれたものが1000年以上も後の人間にまで伝わっていることを描いた人たちはどう思うだろう?
 
「絵巻物」
 
つたえたき
おもひ抱きて
時を越え
今開かれし
絵巻物かな
 
5月8日(木)晴れPeter Ilyich Tchaikovsky
もう昼間は暑い。しかし夕方の空気は冷たい。こういう寒暖差激しい時こそ風邪をひく。我が家にも一人帰国早々ダウンしている人がいる。まったくしょーがねーなー。こういう時にとばかり、鼻声で「アイスクリーム買ってきてぇ」とか言うし。知らんがな。(ワシも食べたかったから買いに行ったけど。)
 
ヘアーショップ ムーヴ」さんには朝一番に行くが、若手の女性3人は早くから来て練習してる。こういうこつこつと技を磨いていくという世界は好きだね。みんな10年後にはベテランになってるんやろうな。何事も10年続けると目が出るっていうし。みんながんばれ!
 
あおば不動産」さんの甥っ子さんは吉本興業の芸人だそうな!帰ってから吉本興業のホームページ見てみたらいたいた!でも話聞いてると凄まじい世界だ。先日出た番組のギャラが500円だったそうな。それでもやめる気はないらしい。お笑いが大好きなんやね。ブレイクして欲しいなぁ。
 
午後は「アルファホーム」さん、「センチュリー21 小笠原」さん、「ブライダルミュージアム ビッビ」さんとまわった。
センチュリー21 小笠原」さんはチームマイナス6%に登録されてるそうな。地球の温暖化を防ぐ運動のあれ。今まで全然興味なかったけど、今日ホームページ見てからちょっと反省。ワシもなんか身近なところから省エネやっていかんとな。ちなみにこれって個人でも登録できるらしい。M塚さんは登録してるそうな。さすがやね。
 
「躑躅」
 
日は眩し
今や躑躅の
晴れ舞台
 
5月7日(水)晴れテ・ジョヨンのサントラ
なんだか韓国であっという間に連休が終わったので長く休んだような気がしない。いつもどおりの水曜日って感じ。「新郷商会」さん、「三開発」さん、「オアシスコーヒー」さん、「ブライダルミュージアム ビッビ」さんとまわった。
 
オアシスコーヒー」さんではついに「グァテマラ ナチュラル」の販売を開始された。社長の長年の夢がついに実現した。オアシスでないと出せない未知の味をみんなどう受け止めるのか?反響が楽しみ。
(社長は明日の「めんたいワイド」の生放送に出演して、「グァテマラ ナチュラル」の魅力について語ります。お時間ある方は見て下さい!)
 
「蛙」
 
初蝉と
耳をすませば
蛙なり
 
5月6日(火)晴れなし
午前中の便にて無事帰国。今回も楽しかった。行く度にソウルの街が洗練されていくような気がする。初めて行った十数年前に比べるとかなりの進歩だと思う。しかし彼らは伝統を捨てたりはしない。古き良きものを守ることも忘れない。もしこのまま古さを愛しつつ新しきを目指す姿勢を保つのであれば、この国はやがて理想的な発展をとげるのではないかと思った。日本は新しきのみを追い求めたために大きなものを失った。隣人にはワシらの国の失敗を教訓にして欲しいと思った。
 
「民族の力」
 
民族の
力に学ぶ
旅の空
 
5月5日(月)晴れなし
歩き疲れて夕べは熟睡。昨日買ったパンで朝食を済ませ、いざ行動開始。イベントの準備に慌ただしい街中を散歩。公園になった川沿いの道の賑わいを眺めつつぶらぶらと仁寺洞へ。ウィンドウショッピングを楽しんだ。ワシは韓国で買いたいものは特にない。姫の買い物に付き合うのみ。ただ様々な異国の事物を観察しておきたいという欲求は常にある。いつか小説のネタに使う可能性も無きにしもあらずということで。
昼食は宮廷料理。いわば今回の旅のメインディッシュ。味の後ろに歴史の裏付けがある上品な味にしばし会話も忘れて浸ってしまった。
 

午後は市場をはしご。どこの国も市場には国の力が溢れている。海外旅行で市場探訪は必須。
 

明洞で休憩した後、野外クラシックコンサートの会場へ移動。広い会場には肌寒い風が吹きつつも、見上げればたそがれの空は澄み渡り、美しい音色はそこへと吸い込まれるようだった。誰かが離した風船が風に揺られながらゆっくりと上っていく様子がそれを象徴していた。
最後の夕食はジャージャー麺で簡単に済ませ、また朝通った川沿いの道を散歩した。ソウル広場では若いミュージシャンたちのコンサートで盛り上がっていた。今日は街中が楽しげな雰囲気に満たされていた。

「ソウルの民」
 
オリニナル
ソウルの民は
熱きかな
 

5月4日(日)晴れなし
たらのスープの店で朝食をとって第二日目をスタート。まずは宗廟のイベントを見に行こうとぷらぷらと歩いていたらドラマのロケに遭遇。若い男性が年配の占い師に話し掛けるシーンのようだった。ぼーっと眺めてると・・・・・・あれ?チャングムに出てたトックおじさんだ!それが判明してからは最大ズームでおじさんを撮りまくり。さすがに演技はうまかった。思わぬ収穫がうれしかった。
カフェでお茶してから宗廟のイベントへ。朝鮮時代の李氏のお祭ということで、この日は歴代の王族の霊が集まるらしい。歩道の真ん中には石を並べた道があるが、そこは霊が集まる道なので通ってはいけないらしい。荘厳な儀式は李氏の子孫たちによって一日かけて行われる。観客は大変な数で、写真撮るのが一苦労だった。小さい姫は人混みの中で踏みつぶされそうだった。
 

少し買い物し、昼はクリスピーで済ませてから南大門へ移動・・・のはずが地下鉄を反対に乗ってしまい、知らないところに出てしまった。ただ戻るのもしゃくなので何か見て帰るべく見回すと、「南山コル韓屋マウル」を発見!しかもちょうど入場料ただだし、迷わず突入。昔の韓国を紹介する文化村みたいで非常に興味深いものを見学できた。怪我の功名。旅は文化に触れて意味を増すもの。予定外の思い出一つ。
 

次は間違いなく南大門へ。市場をぶらついた後、先月の火災で話題になった南大門を見に行くと、全面覆い隠されて修復中だった。中が見れるようになった部分から覗いてみると足場が編み目のように組まれていた。どうも放火らしいが町のシンボルを焼かれた地元の人たちの傷心やいかに。
その後は姫の食材収拾開始。大量の収穫をホテルに置いて、夕食はこれで三度目になるお気に入りのサンギョッサルの店へ。変わらぬ美味を楽しんで二日目は終了。

「宗家」
 
石道を
踏みて集える
宗家かな
 

5月3日(土)晴れEric Clapton
今日の夕方の便でソウルへ旅立つのでその前に体調を整えるべく「中国鍼灸院」さんへ。呉先生は土日は芦屋で治療されるのでそこまで一時間リカちゃんを飛ばした。リゾートマンションにある先生の部屋からはまるで南国にいるかのような気分にさせてくれるエメラルドグリーンの海岸がすぐに眼下にあり、いるだけで癒されるところだった。蓄積した疲労と、おそらくそこからくる胃腸の不調を治療して貰った。
 
呉先生:「こういう詩は知ってる? 易如復手 難若上天 」
ワシ:「いいえ」
呉先生:「これは漢の時代に、臣下が王様を諌めるのに使った詩ね」
ワシ:「どういう意味ですか?」
呉先生:「『手の平を返すように簡単、天に上るように難しい。』王様がわがままを言うとみんなが苦労する。もし王様が考えを変えれば全てうまくいく。つまり、王様が考えを変えることはすごく簡単、王様のわがままを実現するのはすごく難しいということを臣下が詩にして王様に教えたヨ。王様それで反省したね」
ワシ:「なるほど」
呉先生:「どんな問題も本人が気持ちを切り替えれば意外と簡単に解決する場合が多いね」
 
毎度のことだかまた今回も深い教訓を頂いた。
 


 
夕方、一路ソウルへ。ホテルはレジデンスタイプのバビエン2。広い部屋は住みたいくらい快適そのもの。バビエンは二回目。ここはお気に入りだから御用達にしたい。
荷物を置いたらすぐにキムチチゲのお店へ。二人とも空腹な上にチゲが辛うまだったので夢中で食べた。
まずは第一日を無事終了。
 
「異土の宴」
 
二人旅
異土の宴は
キムチチゲ
 

 
5月1日(木)晴れSergey Vasilievich Rachmaninov
毎年春になると6時前から早朝草取りをしてる。暑くもない寒くもない蚊もいない、庭仕事には最適の時期だ。しかし草のほうも元気になるからとった場所からすぐに生えてくる。全く賽の河原じゃないんだから。格闘はえんえんと続く・・・。
 

 
ヘアーショップ ムーヴ」さんのバラが咲き始めた。いろんな種類のバラが己の美を誇っている。いいもんだ。ホームページのバラのギャラリーの写真を追加した。
 
その後は「あおば不動産」さん、「アルファホーム」さん、「センチュリー21 小笠原」さんと訪問。
アルファホーム」さんではみんな出かけてワシは留守番。一人で作業をしてると何やら背後で気配が・・・来た!やつが来た。わざと気付かないフリをする。やつはワシの後ろにあるコピー機の上に乗り、あちこちスイッチを踏んでコピー機を作動させながら近づいてくる。そしてすぐ後ろでにゃーにゃーいってるかと思うといきなりワシの背中に飛びついてきた!思わずワシは「うわ!」と言ってしまった。「どいてよ」と言ってもどかないどころか、ワシの耳とか舐め始めるし、どうしようかと思いつつそのままの体勢で仕事してたら専務が帰って来てその状態を見て笑う笑う・・・。
 

 
「猫」
 
たはむれに
猫を背負いて
そのあまり
息のくささに
仕事すすまず
 

(すいません。石川啄木のぱくりです)

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